2002-06-14 第154回国会 衆議院 厚生労働委員会 第21号
私も病院で外来などまだまだ頑張っておりますけれども、地元にいい先生がいっぱいいらっしゃるんだ、何でここへ来たんだよと言うと、私は頭が痛いから、それこそ脳膜炎の始まりじゃないかと思って心配してやってきたんだ、私は医者じゃないんだ、あなたは医者でしょうと。そういう、一般の国民のレベルと、レベルというか皆さんの御理解と、それからやはり我々プロの連中の感覚のずれがあることも事実です。
私も病院で外来などまだまだ頑張っておりますけれども、地元にいい先生がいっぱいいらっしゃるんだ、何でここへ来たんだよと言うと、私は頭が痛いから、それこそ脳膜炎の始まりじゃないかと思って心配してやってきたんだ、私は医者じゃないんだ、あなたは医者でしょうと。そういう、一般の国民のレベルと、レベルというか皆さんの御理解と、それからやはり我々プロの連中の感覚のずれがあることも事実です。
この犯人として、子供のときに脳膜炎を患って精薄になって、放浪生活をしていた一人の青年が逮捕されました。彼は非常にひどい拷問を受けたと裁判で訴えております。そして法廷では無実を訴えましたけれども、死刑判決がついに確定して、仙台拘置所から、かわいそうなかわいそうな私を助けてくださいと、自分で自分をかわいそうだといって何回も訴えの手紙を出した人です。
東京周辺の大都市の地価、鎮静したとはいえ高値安定でありまして、病人で言えば脳膜炎を起こす寸前で、熱が九度でとまって、決して目の離せる状態ではございません。売れ、売れという筋もございますけれども、今の状態でこれを手放しますと、確かにその売却分は長期債務に繰り入れられて、国民の負担が減ることにはなりますけれども、 一方では大都市の住人たちに御迷惑をかける。
つているからお前達と判ったと私に警察官達は言うので、其の様にすばらしい写真が有るなら是非私に見せて呉れと言つたら、私の周囲に居る者達と共に鈴木亀吉、稲葉の二人が大声を揚げて怒鳴りながら此の野郎警察の化学を馬鹿にするのか 此の野郎飛でも無いやつだ、きさまたち二人でやったに間違いない、こういうことを言った、と書いておりますけれども、その警察の化学化学と言われておる相手の鈴木一男君は、残念ながら子供のときに脳膜炎
そこで、その鈴木一男さんなる者は、これはお姉さんのお話も伺いましたけれども、子供のときに脳膜炎を患って、それで大変に頭が弱くなってしまったという話でありました。なるほど小学校の成績は全部丙で、ただ操行、お行儀が甲だというのであります。つまり、非常に正直な、あるいはばか正直な人だということは言えるのでありますが、頭が大変弱かった。
私は、富山県に生まれまして、その後東京に出まして、流れ流れていま浜松に住んでおりますが、十二のときに脳膜炎をやりまして、神さまが助けてくれたかどうだか知りませんが、どうにか今日の状態を保ちまして、洋服屋をやっておるわけですが、一昨年はからずも岐阜の一日内閣のときに意見を述べる機会を与えられて、そのときにも伺ったのですが、またこのたび応募しましたら、諸先生方の前で四十五年度の予算案に対する所見を述べる
その当時の模様は詳しく書いてありますが、時間がないから省略しますけれども、症状は、医師の診断によれば、頭蓋骨前頭洞部複雑骨折、気脳症――脳の骨が折れたために空気が脳の中に人って、空気中のばい菌が脳膜炎を起こす危険がある。骨折の場所は、額の皮膚を縫い合わせてこれ以上空気が入らないようにしたが、鼻孔から脳の中に空気が入る可能性がある。
それから、生まれたあとの問題としては、脳炎とか脳膜炎、日本脳炎あるいは高熱性の疾患、中毒というようなものがあるわけですが、生まれる前の、二つ申し上げたうち、胎生期の障害の中の特に中毒という現象ですね。薬品とか一酸化炭素などによる障害、これが非常にばかにならない高率を占めている。そう高率ではないのでしょうが、生まれる前の原因としては相当の高率を占めている。
そして脳膜炎にきたといったら、これは一挙です。しかも肋膜は、からだがだるかったが、本人は気づかなかった。たいして悪いとは思わなかった。戦地におるときはちょっとあって、帰ってきても軽かった。ところがそれが脳膜炎を併発した。御存じのとおり、昭和十二年から十五、六年、ずっとあの時期はいい薬はなかったわけです。いまのようにパス、マイシンみたいなものがないわけですからね。
また、リンパ性脈絡脳膜炎のヴィールスもいるわけでございますから、そういうもののいないサルのじん臓を使わなければならない。これを使うというためには、おそらくは十頭あるいは二十頭のサルからそういうものがいないということを証明したものを使わなけりゃならぬというようなことで、どこからサルを持ってきてもそれがみな生ヴィールスの材料になるとは限らないのでございます。
発生状況もつまびらかにしておられないということであっては、予防とか対策等についての具体的な措置もどうかと思うのですが、たとえば精薄者のできる原因としていろいろ言われておりまして、妊娠中絶の失敗からというものあるでしょうし、妊婦の栄養失調というようなことも言われておりますし、あるいは生後における脳膜炎、外傷その他いろいろあるようです。
特殊な例(脳膜炎、粟粒結核)をのそき例外を認めない。したがって許可に至るまで、二乃至三週間は結核患者といえども使用できない。又五十万使用後は耐性試験を行い、その結果の判定(少くとも一カ月を要す)までは使用できぬ。而かも許可たるやかなわ森厳であり、結核にしてストマイの恩恵に浴しえざるもの枚挙にいとまがたいと申しても過言ではない。
水俣の奇病を最初見られた方は、おそらくこれは脳膜炎だと、こういう診断をほとんどされておったと、こういうことも聞いております。しろうとの私どもが見るならば、脳膜炎とどこが違うだろうかというくらいにわからない。最近そういう非常に脳膜炎に類似した病気が蔓延している。
従ってこれが乳幼児に感染すれば、結核の脳膜炎になるだろうし、それから学齢児になりまして、五、六才以上の者になれば、肺門リンパ腺なり肋膜炎になることは明らかです。そうしてみますと、それらの者がようやく今から病気をなおす、治療の皆保険の恩典に浴そうかという、こういう形になると、結核というものはそこに今度はしょうけつをきわめてくることは明らかだ。
しかも子供の結核というものは脳膜炎が多いのです。いわゆる結核性の脳膜炎です。従ってこれはやはり精神薄弱的な要素が出てくるわけなんです。そうしますとこれはやはりこの施設のどれかに——もしそれが財団法人とか何とかの形で大して利益を目的とせずにやるものならば、たとえば虚弱児の施設かどこかに入れる方がいいのじゃないかと思うのです。
しかも感染しますと、脳膜炎を起しやすい。このような危険をはらんでおるわけでございます。耐性菌による感染によって脳膜炎が起ったのでは、もう手の施しようがないわけであります。アメリカでは、新しい患者の調査をやってみますと、〇・五%は耐性菌によって発病しているのだということがいわれておるわけです。
しかも感染すれば脳膜炎を起しやすくなってくる。耐性菌感染による脳膜炎が起ってからは、どんなにほぞをかんでみても間に合わぬのであります。
子供はことに感染しやすい、感染すれば脳膜炎を起しやすい、耐性菌感染による脳膜炎が起ってから、どんなにほぞをかんでも間に合いません。こういう例はすでに実際に起っておるのであります。アメリカでは、新しい患者の〇・五%は耐性菌によって発病しているという統計があります。
たとえば、かぜでも頭が痛い、神経痛でも頭が痛い、あるいはまたチフスでも頭が痛ければ、脳膜炎でも頭が痛い。その他頭痛を伴う疾患は山ほどあるにもかかわらず、ただ頭が痛いからというその患者の訴えに基いて、いわゆる国民処方の名のもとに調剤投与しておられる。この実態というものは、およそ欧米とは違うということを申し上げたわけであります。
それは、白石光世と言われる三十三歳の方で、今度は当然お帰りになるべき方であつたのでございますが、この方が、一九五四年と書かれておるといわれますから、本年八月五日の午後三時に遼寧省の瓦房店の結核医院において結核性脳膜炎にておなくなりになつたのでございます。