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15件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2009-07-10 第171回国会 参議院 本会議 第37号

今日、国際的に脳死そのものの概念に揺らぎが生じている中、国民脳死の実態について正確な情報を与えないままに、あたかも脳死は人の死であることを肯定するかのごとき改正を行うことには、強い懸念を抱かざるを得ません。  同案に賛成する第二の理由は、本人自己決定を尊重するという現行法の重大な枠組みを維持し、本人による意思表示がある場合に限り法的脳死判定臓器提供を認めるという点です。  

円より子

2009-07-02 第171回国会 参議院 厚生労働委員会 第21号

いずれにしても、脳死そのもの終末期として、ここから先は積極的な治療の対象ではないと、むしろ死をみとるというそのプロセスをどう考えるのかというふうなことに視座を移すというふうなことについては皆が賛成しているわけであります。  その次のページめくってください。次は、延命措置を中止する方法であります。御家族の意思の確認等々はありますが、省略させてください。  

有賀徹

2009-04-21 第171回国会 衆議院 厚生労働委員会臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案審査小委員会 第1号

それは、先ほど、全脳と脳全体、この違いをまだ完全な形で理解していないのではないかという御指摘をいただいたわけでありますけれども、間脳であるとか視床下部部分が含むか含まないかというところが、それが脳死そのものに対するどのような違いが出てくるのかということ、それがまず第一点。

園田康博

1997-04-18 第140回国会 衆議院 厚生委員会 第18号

ただ、そうじゃなくて、脳死そのものに関しては決めるべきでない。  そして、もし第三者告発を受ける、それから、違法性阻却事由が十分にうまくいかないというようなことで、例えば移植医たち移植そのものを逡巡するようでしたら、国会は果たして何ができるのかというのを法律以外の部分でもどうすべきか、この辺のことを考えるべきだと思うのです。  

鴨下一郎

1997-04-15 第140回国会 衆議院 厚生委員会 第16号

特に、こういう法案の持つ重要な問題とともに、専門家の中でも脳死を人の死とすることについても随分慎重論がありますし、また国民的な合意という問題におきましても、先ほど五割、六割の人たちというお話がありましたが、しかし、その五割、六割という人たちについても、脳死そのものについてどれだけ国民の中に十分理解されているかというと、先日、テレビでも放映されていましたが、脳死植物人間との違いが余りよくわからない場合

瀬古由起子

1997-04-15 第140回国会 衆議院 厚生委員会 第16号

○遠藤(武)議員 私が申し上げたいのは、繰り返すようですが、竹内基準というのが、いわば脳死判定基準だとはいいながら、脳死そのもの定義になって、すりかわっているのじゃないかということを思うから、ですから、その竹内基準というものを少し領域を広げて、こういうものも加えていく、そして、いろいろな人たちが納得できるような知見というものを確立すべきじゃないか、こういうふうに申し上げておるのであります。  

遠藤武彦

1997-04-08 第140回国会 衆議院 厚生委員会 第13号

脳死という状態は、それが脳死そのものあるいは脳死状態であれ、科学的事実であることは確かです。しかし、人の死、つまり人間全体の死というものは人間が判断し、選択する問題でありまして、それは意味づけの問題でもあるわけですね。どこで人が死んだかとするわけです。  これは、竹内先生も著書において、脳死とは個体の死の前段階の一つであり、やがて個体死がやってくるという表現で書いておられます。

柳田邦男

1997-03-18 第140回国会 衆議院 本会議 第18号

脳死をめぐる議論はこれまでもさまざまな場で行われてまいりましたが、残念ながら、いまだ脳死そのもの国民の一部に誤って理解されている、その感がぬぐえません。種々のアンケートを見ても、脳死とは何かを正確に認識している人はごくわずかで、感覚的な判断が多いとの結果が出ております。  一般に、心臓の停止脳死、呼吸の停止といったプロセスを私たちは死に至るプロセスと受けとめています。

小沢鋭仁

1996-07-12 第136回国会 衆議院 厚生委員会 第31号

すなわち、法律上の手続としては、脳死、これは脳死体ではありません、脳死そのものですが、脳死が人の死、言いかえれば、従来の通念として定着している死の一部であるという形ではまだ認められていないのだ、従来の通念としている三徴候死脳死との関係でありますが、まだ認められていないのだと考えます。したがって、正確には、この「死体(脳死体を含む。)」

廣澤弘七郎

1989-11-28 第116回国会 参議院 内閣委員会 第3号

先ほどから出ました厚生省研究班判定基準というものも大筋では正しい基準を示していると存じますが、その後、ただいまの発言にもございましたように、さまざまな論議が巻き起こっておりますし、それから日本におきましては、脳死からの臓器提供というのが認められておりませんので、かえって脳死そのもの研究というのは非常に進んでおります。さまざまな知見というのが加えられております。

垂井清一郎

1988-05-10 第112回国会 衆議院 法務委員会 第13号

北川政府委員 先ほど来申し上げているわけでありますけれども、脳死そのもの医学専門家の間ではそれを認めていく、受け入れていく、そういう流れが一つ大きく動いておるわけでございます。しかし一方、やはり国民感情というものも、そういうものをどうやって受け入れていくのか、一部の人はいいと言うけれども一部の人はまだ問題がある、こういう議論がどうしてもあるわけでございます。

北川定謙

1985-03-26 第102回国会 参議院 法務委員会 第3号

私も素人でよくわかりませんが、脳死と一口に言いましても、脳幹死をもって言うのか、また別の定義があるのか、脳死そのものについての定義がまだ定かでないというふうに考えておりますし、さらにその脳死判定基準、これ、どういうふうな場合に脳死と判定できるのか、外からの検査を総合して決めるしかないわけでございますから、それについても学会等でいろいろな説がなされておるようでございます。  

筧榮一

1985-02-08 第102回国会 衆議院 予算委員会 第7号

この明確にするに至っていないというのは、脳死そのものを死とするかどうかが明確でないのか、それとも脳死を判定する基準あるいは検査方法が明確でないので死とするかどうかがはっきりしないというのか、この辺はどちらなのか、これは一番大事なところでございますので、ひとつはっきりさしていただきたいと思います。

坂口力

1985-02-08 第102回国会 衆議院 予算委員会 第7号

お話しになりましたが、脳死そのものを死と明確に認めていないというのであるならば、そこから臓器を摘出するということは法的に現在はどうなのかという話もあるわけであります。大変微妙な問題でございますので、お答えいただける範囲内で結構でございますのでお答えをいただきた

坂口力

1985-02-08 第102回国会 衆議院 予算委員会 第7号

ひとつ法務大臣の見解をお聞きをしておきたいと思いますが、今厚生省並びに文部省からお話をお伺いをいたしますと、脳死そのもの判定基準といいますよりも、脳死がはっきりしてもその脳死そのものを完全に死と認めるかどうかということに対する見解がいま一つあいまいもことしたところがあるわけでございますが、法務省といたしましてはこの点をどのようにお考えになっているのか、ひとつお聞きをしたいと思います。

坂口力

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