2006-12-13 第165回国会 衆議院 厚生労働委員会 第9号
この方が亡くなった後、その脳を解剖したところ、脳の神経細胞は全くなくなっており、脳幹部分も石のように石灰化していたと報告されました。脳の機能が失われても二十一年間生き続け、身長も体重もふえ続けたわけであります。この一事をもってしても、脳死は人の死ではないことが証明されたものと考えざるを得ません。
この方が亡くなった後、その脳を解剖したところ、脳の神経細胞は全くなくなっており、脳幹部分も石のように石灰化していたと報告されました。脳の機能が失われても二十一年間生き続け、身長も体重もふえ続けたわけであります。この一事をもってしても、脳死は人の死ではないことが証明されたものと考えざるを得ません。
大方、全脳死と言っておきながら、本当にやっているのは、脳幹部分の脳幹機能死を証明して、それで概念的には全脳死という言葉をかぶせているだけだというような文献も読んだことがあります。そのことで、まだまだ脳は不可解な部分、未解明の部分がたくさんある。万が一脳死を死と認めても、それを人間の死とするか否かは、加藤先生も今おっしゃいましたように、極めて価値の問題あるいは文化の問題につながると思います。
例えばカトリック神学者の中には、いわゆるペルソナという概念ですが、人格概念というのはまさに大脳に宿るものであって脳幹部分には関係がないということで、いわゆる脳死の中でも大脳死説をとるような場合もございます。
そうしますと、脳死の状態というのは脳幹部分が機能を喪失しているために起こることなのでありますから、もし人工呼吸器がない時代ならばもう間違いなく二十四時間なり四十八時間後には死亡しているのですけれども、人工的に呼吸ができるようにしますと、人間の心臓というものも反射的に心臓が動いて血液が循環できる。