1971-05-13 第65回国会 参議院 逓信委員会 第16号
私は人間と人間のつながり、人間の尊厳がもう一度考え直されなければならないという、こういう世界的な風潮の中で、いま三分で話を閉ざされてしまう、そういう脅迫観念で十分な会話をやめさせられてしまうということは、人間の尊厳を剥奪するものだと思う。実際にいま自由に使われた電話を閉ざされてしまう。
私は人間と人間のつながり、人間の尊厳がもう一度考え直されなければならないという、こういう世界的な風潮の中で、いま三分で話を閉ざされてしまう、そういう脅迫観念で十分な会話をやめさせられてしまうということは、人間の尊厳を剥奪するものだと思う。実際にいま自由に使われた電話を閉ざされてしまう。
それから人に襲われているよらな幻覚が起きたり、あるいはだれかにつけてこられるとか、そういうことであばれたり、脅迫観念や何かで、それで人を傷つけたりなんかする。ところが、ヘロインの患者の禁断症状というのは、そういうようなあばれるとか何とかいうのはあまり少ない。それで全然逆で、ある意味ではじっとうずくまって、非常にじわじわと苦しんでいる。
私も宗教に非常に興味を持っておりますが、こういう人に脅迫観念を与え、お前は後家になるぞ、お前の子供は近いうちに交通事故にあって足が無くなるぞ、そういうようなおどし文句で信仰に引きずり込むというようなことは、これはもうとうてい許し得ないところで、しかもそれが大部分が家庭を持った婦人たちがこれに引っかかっているというこのことを、あなたは行き過ぎだと考えられませんか、率直に一つ感想を漏らしてみて下さい。
これは、その人自体主観的にはなおりたいと思っているのだけれども、潜在意識のどこかに補償が受けられるという気持があるので、それが一種の妙な脅迫観念になって障害がなかなかなおらないのです。だからとんでもないところが痛んだり、からだが不自由になったりする。それは一つの制度が生む病気であって、必ずしもその人個人の不心得が生んでいる病気ではないのです。ですから、それは現実にある文明病の一種なんです。
それを越えてさらに自宅まで行くということは、相手に対して脅迫観念を抱かせる。これはもう常識でございます。人権を尊重しなくちやならぬということは、もう憲法にも数条設けて明記されてあるところであります。しかも今日は人権擁護の週間であります。その憲法下における人権擁護週間にかかる問題が起きておる。これは一郵便法違反とかなんとかいうことではないのであります。これは基本的人権に関する重大な問題であります。
普通常識的には不当といえばあるいは暴力をもつて、あるいは相手に脅迫観念を起させて、恐怖の結果しやべらせるとか、そういうことが普通の常識では不当な方法ということが言われましようけれども、そこまで明確にならない、お互いの話合いの中に出て来るという場合もあり得るわけであります。
これについては国会としても最善を尽したい思いますので、いろいろ今まで脅迫観念とか、不信の念とか、いろいろおつしやいましたが、そういうものがございましたときには、無論協会とも御折衝になるのでしようが、そういうことは私ども国会にもいろいろ御連絡を願つて、国民全体で言論の自由を決して失わないように、而もそれが公共の福祉、国民の文化を傷つけないように努力したいと思いますので、これについて何か若し御意見がございましたら
強制なしに預かつていれば強制罪にはならないだろうし、それが脅迫観念のもとにおいて預かつたならば、強制罪になるだろう、その点は私調べておりません。
それで私は別に大した脅迫観念は受けませんが家内や子供は非常に脅迫観念を受けた。それでそのあとで来た男たちは、これは椛澤氏の子分だとか親分だとか、そういうことは知りませんが、とにかくあの辺の人たちが仲介しようと思つてか何かして来たのだろうと思います。又その後椛澤氏と二、三回会つたあとで、それから津田氏がたしか一人で一遍来たのです。
その田縁さんの性格からも判断できるのですが、一般の人が、警察官の取調べに会うときに、告訴を先ず第一に口にされたということは、確かにこれは脅迫観念を第一に與えていることです。それを若しも與えていないというふうに高橋さんが考えられるならば、これは非常な聞違いだと思うのです。そういうものの考えかたで人を調べ、又人民に接するならば、今後でもこういう問題はたくさん出ると思います。
○須藤五郎君 私は終りたいと思いますが、どうしても私たちの胸の固まりの解けん点は高橋氏のいわゆる言葉の中にあるああいう告訴とか逮捕というようなことを口にしたことは、決して相手に脅迫観念を与えるものではない、そういうことでないという発言、これは警察官として、民主的な警察官として大いに反省して頂きたい、若しもそういう気持でやるならば、これは絶対民主的な警察というものはできない、そしてあなたも多少その間違
○須藤五郎君 私は田縁さんが告訴の問題を出された時に脅迫観念に襲われたということは、事実を以て証明しておると思うのです。それはすぐ録音の終つたあとへ追つかけて行つて録音取消を申出ているということにちやんと現われておると思うのです。
そのために会社としては本意でないのに係員がいわば一種の脅迫観念によつて判を押したのであるから、爾後この支拂いについていろいろ分割補いとか何とかということについて会社に正式に調印を求められた際にこれを承諾しなかつた。こういうような事実があると聞いております。