1994-06-01 第129回国会 参議院 決算委員会 第3号
そうしますと聾唖者同士はわかるんです、聾唖者同士は。ですから、そこのところをもう少し自治省の事務方の人が考えてほしいなと思うんです。確かにそれは公平は前提でしょうけれども、聾唖者同士の公平というのがあるわけです。それは耳の聞こえる人が勝手につけた不公平論なんです。ですから、そこのところもうちょっと突っ込んで研究していただきたいと思うんです。
そうしますと聾唖者同士はわかるんです、聾唖者同士は。ですから、そこのところをもう少し自治省の事務方の人が考えてほしいなと思うんです。確かにそれは公平は前提でしょうけれども、聾唖者同士の公平というのがあるわけです。それは耳の聞こえる人が勝手につけた不公平論なんです。ですから、そこのところもうちょっと突っ込んで研究していただきたいと思うんです。
してみれば、むしろ手話通訳の皆さんの方が正確に伝えているわけでしょう、聾唖者同士で。それを何でいつまで検討検討と言っているのかね。本当に情けないな。やってみたら、一回。何にもしないんだよ。何にもしないで、ただ検討検討って。だから、ボクシングやっているんじゃないって僕らが言うのはそこなの。 ボクシングというのは殴り合うんだよ。だったら、検討するなら実行してみたらどうですか。
ただ、委員今言われましたように、聾唖者同士でしゃべるというのは政治用語をしゃべるわけではないものですから。
一番私が言いたいのは、それじゃ聾唖者同士は意味が通じていないんですか手話でお互いに話し合っている人たちは意味が通じていないんですかあれは。通じているからこそ手話というものがあるんじゃないですか。 それともう一つ、自治省が間違えているのは、日本語のあり方と手話の文化のあり方を両方一緒くたにしているんです。我々がしゃべるようなぐあいに手話ができない。
一言だけ加えさせていただきますと、我々が考えていない、聾唖者同士で理解できる手話というのは幾らもあるわけなんですね。当事者になりますと、この言葉はこういうふうに正確に伝えられないんじゃないかというふうに考えていらっしゃるんですが、実際の聾唖者の皆様方は、聾唖者同士で通じる表現法というのがあるわけなんです。
それは私たちのしゃべるのをそばで手話で聞いているというだけじゃなくて、聾唖者同士もほとんど手話でやっております。この現状から考えて、いまのやり方がいいかどうかというのは私はかなり疑問ではないかというふうに感じざるを得ません。