1971-05-19 第65回国会 参議院 内閣委員会 第19号
次に、ろう学校は新たに学級増を行ない、また聴覚障害児福祉センターに運動場を割愛したため運動場がとられてしまった。現地では付近の地主と折衝して約三千坪の用地を確保したが、購入費が足りないといって困っている。
次に、ろう学校は新たに学級増を行ない、また聴覚障害児福祉センターに運動場を割愛したため運動場がとられてしまった。現地では付近の地主と折衝して約三千坪の用地を確保したが、購入費が足りないといって困っている。
ちょっと御質問の点を感違いいたしておりましたのですが、聴覚障害児につきましては、南方同胞援護会の事業といたしまして、沖繩聴覚障害児福祉センターというのを設けましたが、そのお話だと思います。それは本年の一月に落成いたしております。これに医師、聴能訓練士を派遣いたしまして、いろいろの事業の助成をはかったということになっております。
それ以外に、たまたま本年の一月から、沖縄のほうに聴覚障害児福祉センターというものをつくりまして、これによりまして、聴覚障害児の聴能訓練なり、生活指導等を実はやる予定にして、いま建築中でございますので、そういうような施設を私どものほうではできるだけ今後活用していきまして、こういった聴覚障害児の療育訓練等をやってまいりたいと、かように思っているわけでございます。
さらに、いままでございました宮城原の更生センターの約五十人収容増ということを考えまして一千八百万円組んであるわけでございますが、いままでございます首里の政府立沖繩身障者、更生指導所等、ただいま申し上げましたようなものを総合的に考えてまいりたいと思いまするし、さらに沖繩のろう学校の中に聴覚障害児福祉センターというものが先般南援のルートを通じて完成をいたしました。