また、本委員会におきましては、佐々木満君及び聴濤弘君の両名が勇退され、後進に道をお開きになると承っております。 佐々木君におかれましては、昭和五十一年当選以来二十二年にわたって、また、聴濤君におかれましては、平成四年当選以来六年にわたって、それぞれ国政活動に尽力されてこられました。
それから一カ月足らずのその年の五月三十一日に、日本共産党の聴濤議員が総理に質問をした。一年前からポル・ポト派が武装解除を拒否していることが明らかになっているではないですか、この問題に対して、停戦の問題が十分に実施されていないということについて宮澤総理はどういうふうにお考えなのかと。それで宮澤総理はその当時、見通しが甘かったというのも甘んじて受け入れなければならないと述べられました。
平成十年三月十二日(木曜日) 午前十時四分開会 ――――――――――――― 委員の異動 三月十一日 辞任 補欠選任 吉岡 吉典君 聴濤 弘君 ――――――――――――― 出席者は左のとおり。
昨十一日、吉岡吉典君が委員を辞任され、その補欠として聴濤弘君が選任されました。 ―――――――――――――
木庭健太郎君 二月十日 辞任 補欠選任 木庭健太郎君 猪熊 重二君 二月十六日 辞任 補欠選任 吉岡 吉典君 立木 洋君 二月十七日 辞任 補欠選任 立木 洋君 吉岡 吉典君 二月二十五日 辞任 補欠選任 吉岡 吉典君 聴濤
委員の異動 三月三日 辞任 補欠選任 阿部 正俊君 小山 孝雄君 武見 敬三君 上杉 光弘君 今泉 昭君 勝木 健司君 竹村 泰子君 長谷川 清君 和田 洋子君 笹野 貞子君 瀬谷 英行君 菅野 壽君 三月十日 辞任 補欠選任 聴濤
また本日、聴濤弘君が委員を辞任され、その補欠として吉岡吉典君が選任されました。 —————————————
阿部 正俊君 小山 孝雄君 今泉 昭君 勝木 健司君 三月二日 辞任 補欠選任 上杉 光弘君 武見 敬三君 小山 孝雄君 阿部 正俊君 勝木 健司君 今泉 昭君 笹野 貞子君 和田 洋子君 菅野 壽君 瀬谷 英行君 吉岡 吉典君 聴濤
昨二日、上杉光弘君、笹野貞子君、菅野壽君及び吉岡吉典君が委員を辞任され、その補欠として武見敬三君、和田洋子君、瀬谷英行君及び聴濤弘君が選任されました。 —————————————
二月五日 辞任 補欠選任 阿部 正俊君 佐々木 満君 戸田 邦司君 都築 譲君 二月十日 辞任 補欠選任 猪熊 重二君 木庭健太郎君 二月二十五日 辞任 補欠選任 小山 孝雄君 阿部 正俊君 勝木 健司君 今泉 昭君 聴濤
昨二十五日までに、小山孝雄君、勝木健司君、猪熊重二君、聴濤弘君及び戸田邦司君が委員を辞任され、その補欠として佐々木満君、今泉昭君、木庭健太郎君、吉岡吉典君及び都築譲君が選任されました。 —————————————
齋藤 勁君 笹野 貞子君 菅野 久光君 竹村 泰子君 千葉 景子君 角田 義一君 中尾 則幸君 前川 忠夫君 松前 達郎君 峰崎 直樹君 本岡 昭次君 藁科 滿治君 阿部 幸代君 有働 正治君 上田耕一郎君 緒方 靖夫君 笠井 亮君 聴濤
補欠選任 阿部 正俊君 木宮 和彦君 十一月十四日 辞任 補欠選任 木宮 和彦君 阿部 正俊君 十一月二十日 辞任 補欠選任 上杉 光弘君 志村 哲良君 十二月一日 辞任 補欠選任 阿部 正俊君 尾辻 秀久君 吉川 春子君 聴濤
去る二日、吉川春子君及び阿部幸代君が委員を辞任され、その補欠として聴濤弘君及び吉岡吉典君が選任されました。 また、去る三日、鈴木政二君、長尾立子君及び鈴木正孝君が委員を辞任され、その補欠として村上正邦君、狩野安君及び猪熊重二君が選任されました。 —————————————
平成九年十二月八日(月曜日) 午後一時十一分開会 ————————————— 委員の異動 十二月二日 辞任 補欠選任 阿部 幸代君 吉岡 吉典君 吉川 春子君 聴濤 弘君 十二月三日 辞任 補欠選任 鈴木 政二君 村上 正邦君 長尾 立子君 狩野 安君