1953-12-23 第19回国会 衆議院 内閣委員会 第3号
聯隊長がピンハネをやつておつた。そこで聯隊長を呼び出しまして部下の面前でみずから銃殺したという例がある。あの中国の軍隊が戴笠一人の力によつてある程度腐敗を防いで来た。彼が飛行機から落ちて死んでしまつた。そして戦争に勝つたあの軍隊が一瀉千里で崩壊して行つた。その根本は、第一線の崩壊ではなくして、中央部の崩壊、高級者の汚職腐敗にあつたのであります。
聯隊長がピンハネをやつておつた。そこで聯隊長を呼び出しまして部下の面前でみずから銃殺したという例がある。あの中国の軍隊が戴笠一人の力によつてある程度腐敗を防いで来た。彼が飛行機から落ちて死んでしまつた。そして戦争に勝つたあの軍隊が一瀉千里で崩壊して行つた。その根本は、第一線の崩壊ではなくして、中央部の崩壊、高級者の汚職腐敗にあつたのであります。
かつての聯隊長の人たちも、みな罪状の暴露をしてたたき合いをやつておる。高級将校同士がしまいにたたき合つて、かつての参謀であり、聯隊長である人たちがみなデモグラートとしての宣誓をなすとともに、お互いがお互いをたたいて行く。そういつた意味の証言としては、十三分所では各高級将校、各参謀によつてつくられた関東軍罪悪史というものがここにインタビューして行つたのであります。
○篠田委員 先ほど参謀や、あるいは聯隊長のような戰争の中心的役割を演じた人も、向うの圧迫にたえかねて偽装的な、言いかえれば転両者となつて、ソビエト的な民主主義者になつて、かつての友だちをあばき、これをつるし上げたというようなことを言われましたが、あなたは数回にわたつて帰国を拒否されたにもかかわらず、自分の信念を通して来られたということは、まことに見上げた態度だと思いますが、そのときになぜそういう態度
ところが私が四月の二十二日ナホトカに参りますと、北川昇という男がおりましたが、この男が腕に聯隊長という腕章を付していたのであります。傲然たる態度で、我々が入りますと、門のところの眞中にスターリンの額がありまして、そこに赤旗が交叉してあるのであります。実に陰惨極まる。その門を潜ろうといたしますと、そこに大男がおりまして、後に名前が北川昇ということが分つたのでございます。
そのためにその時分の聯隊長を聽かれて、次に又聯隊長を聽かれて、そういう話で相当怒られました。そうして今度は満軍の元の司令部の所に連れて行きまして、今の電話器の、電池の裝置をくくり付けられまして、そうしてそこで今の電氣を、二ところ電氣を通じて取調を受けました。それから二回に亘つて実施されました。やはり歩兵曹長で……その後は取調べに参りませんでした。
○証人(池田重善君) そのときに承徳におられました日本人の通訳が言われるのに、あなたの聯隊長の名が先と後で違うからいかん。一律にしておらんからいかん。大体あなたは特務機関の渡會少佐に睨まれておるから、もう少し愼重にしなければいかんと言われました。