2021-04-14 第204回国会 衆議院 文部科学委員会 第10号
誰しもが生まれた瞬間から聖人君子じゃないわけで、先ほども述べたとおり、いろんな失敗もしているわけです。人には知られたくないなというようなこともたくさんあるわけです。
誰しもが生まれた瞬間から聖人君子じゃないわけで、先ほども述べたとおり、いろんな失敗もしているわけです。人には知られたくないなというようなこともたくさんあるわけです。
検察は聖人君子の集団ではない、恫喝まがいの取調べが行われている……
○川田龍平君 国家公務員が聖人君子でないことは財務省、厚労省のセクハラ問題で明らかですが、ましてや今回の法改正について、正確なデータに基づかずに有識者の話だけまとめて立案したのではないかと疑ってしまいます。
私も聖人君子でもありませんから、過去、生きてきた中で、どこかで誰かに文句を言ったことがないかといえば、それは否定できません。これは皆さんも多分あると思います。 ですから、今、改めて自分たちを戒めながらも思うんですけれども、最近は、土下座を強要したりとか、ちょっと今までなかったようないろいろな形での悪質クレーム、迷惑行為が起きることによって、七割の方が経験がある。
○田嶋委員 フィンランドも別に聖人君子じゃないでしょうから、問題は何かあるかもしれない、いろいろ。だけれども、私が申し上げたのは、空間軸、時間軸、つまり、横の国で何をやっているかですよ。横の役所の環境省が指定廃棄物で失敗した、何でその事例をしっかり学ばないのか。その二つを申し上げたんです。ほかの国から学べ、ほかの役所から学べ。ただでさえ事例がないんだから、この案件は。
もう一点は、これはみんながみんな聖人君子というわけじゃありませんでしょうから、それは間違いは起こすだろうし、不心得な人もいるだろうということはある程度覚悟した上で、きちんと、そういう人がいてもこういったことが起きないような制度というものをきちんとつくり上げないかぬということで、電子決裁等々いろんな御指示を総理からも出ておりますし、そういった形できちんとやらせていただきたいとは思っておりますが。
それぞれの御答弁をお聞きしておりまして、本当に聖人君子のような、そういった方が果たしているのかというような印象を持つんですけれども、だからといって、これは決して諦めてはいけないことだと思うんですね。
もう聖人君子でなければならないことを求めているわけですが、こういった条文というのは、やはり怖いのは、恣意的な運用がなされていないかといったことが非常に怖いわけでございます。
そうすると、何が言いたいかといいますと、やっぱりしっかり、なかなか聖人君子のような人間ばかりではありませんので、私はどちらかというとそういう自分の管理というのはなかなか難しい方かもしれませんけれども、要するに、今のように、保険者の健康指導ですね。あと、あなたは健康指導の対象じゃなくて、むしろもう病院の対象ですと、病院に行っていただくと。
そうすると、やっぱりこれはインサイダーという話にもうどうしてもつながってくるし、それだけの大きなお金を動かすのにやっぱり彼らに聖人君子のようなモラル観が当然求められるんだけれども、それが本当に実行されているのかなというやっぱり不安も禁じ得ない。
もともとそういう思い、お医者さんも、聖人君子ではありません、人間ですから、そういった思いがあったりしても、外に向かって言わなかった。でも、そういったことを言わざるを得ないお医者さんが出てきているというような状況で、かなり日本の産科医療あるいはリスクの高い医療全体に対する大きな影響がある。
先生も聖人君子ではありませんからいろんなこともやります、弁護するつもりはありませんが。 やはりそういう実態というものを、一生懸命やっている割には社会的な評価というものが、これはやっぱり高度成長で、昔は、昔はと言うと、もう私らは古い人間ですから戦前を含めて大体分かりますけれども、いい先生が一杯いましたよ。
それは全部が全部聖人君子で全部が全部有能なはずありませんから。それは選挙で次落としゃいいだけじゃないかということになったら、四年もむちゃされたらどうするとか。それはくめども幾らでも尽きないほど、幾らでも心配は出てくることは確かです。 これは私どもは、言っておられる方々の気持ちは分からぬでもない。
ただ、官房長官が全員福田さんのような聖人君子じゃないわけで、やはりこれは、十三億もあったら大変な額で、それを一切領収証も何もなくて使っていいといえば、間違いがあることもなきにしもあらずだと思うんですよ。だから、私は、これは国家の機密費を一切使っちゃいけないということを言っているんじゃなくて、使うのはそれは必要かもしれません。
一部意見書では、奉仕体験活動は国家に奉仕する国民の育成につながる、そういう極端な意見もありまして、それにより反対という意見がございますが、生まれながらにして、聖人君子で、向上心があって、公共心にあふれて、そういうすばらしい人間、生まれながらにすばらしい方ばかりならいいのですけれども、人間というのは、私も含めて、大抵はいろいろな経験を積みながら成長していくものだと私は思います。
漢文の先生だからといって聖人君子じゃありませんし、極めて人間的な人です。あるいは、小学校のときに教わった中島先生という先生、もうお亡くなりになりましたけれども、この先生が非常に印象に残るんです。 そして、その先生たちの時代はどうだったんだろうかとちょっと私も調べてみたんです。そうしたら、小説の世界にも出てくるんですよね。
もとより、私も聖人君子ではないそういう期間が、本当に短い期間でありましたけれども、あったかもしれません。しかし、そういうことはこういう国会の場であれこれすることではない。国会法に書いてあることでございますから、そういうことについてはコメントは差し控えさせていただきます。
それから、時間が限られておりますので次に行くわけですが、それから警察の仕事について、いろんな不祥事が起きますと警察が聖人君子であることを要求するような錯覚が一部にあるんですけれども、警察官というのはもともと悪の世界を退治するためにいるわけですから、半分悪の世界に足を突っ込んでいないと悪が退治できないわけです。
そういうことからいいますと、警察に対しても人を余りふやしてはいけないとかいうようなこともありますし、それでいて警察官に対しては、聖人君子とは言いませんが、日常生活においても厳しく規律を課せられているという状態の中で、やはり私は、警察官に対してはそれ相応の待遇を考えてあげる必要があるんではないかというふうに常日ごろ考えているわけであります。
○月原茂皓君 それは頭のいい人だからここでたくさんの表現もできるんでしょうが、そういう点がややもすると、確かに聖人君子であるべきだというようなことで銀行の頭取はもう大変な、頭取さんを前にしてあれですけれども、一般に銀行の責任者というのは聖人でないといかぬ、常に的確な判断を下していかなきゃいかぬ、そういうふうな考えで、理想的なんですけれども、法律がやっぱり最低限の道徳ですから、法律を常に改正していく、