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24件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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2019-02-27 第198回国会 衆議院 予算委員会第一分科会 第1号

二百二十年以上も前に老中松平定信からロシア船の見張りを命じられた栗田は、飛ぶ砂が田畑や家までも埋め尽くす本当にひどい状況だということに気づいて、砂どめのための植林を始めました。一本一本植林するところから今こうした地域がつくられたんだ、それがわかっているのかと大臣に聞いてくれと現地の人から託されてまいりました。  まず伺いますが、住民の理解を得るために努力をするとおっしゃっています。

高橋千鶴子

2013-03-08 第183回国会 衆議院 予算委員会 第10号

今までの体制のもとで、老中がいて、そしてこれまでの幕閣がいてという体制から、我々はまさに新政府をつくろうということを目的に行動をしているわけであります。これがまさに、統治機構を道州制で変えて、そして我が国政治文化を変えていくということであります。  ですから、我々の行動パターン、先ほど松野委員からもお話がありました、是々非々で行動します。

松浪健太

2013-01-30 第183回国会 衆議院 本会議 第2号

彼の藩政刷新の効果絶大で、板倉勝静徳川幕府筆頭老中にまで上り詰めることができました。方谷勝静の右腕として活躍し、大政奉還の精神も彼が起草したと言われております。  現在の日本と同じような状態となっていた松山藩を実質一万九千石から二十万石の実力とまで言われるようにした山田方谷のこと、我々は、今、今後の参考に大いになると考えております。  

平沼赳夫

2011-05-02 第177回国会 参議院 予算委員会 第14号

先ほど私、二つのパターンのリーダーシップということを申し上げましたが、こういうどっかり座って、後は、この場合だと将軍はどっかり座って、当時、保科、これは老中でしょうか、そういう立場の人に中心になってやっていただく、こういうやり方もありますし、先ほど同じ林議員から御指摘があったジュリアーニ市長のように自ら陣頭指揮を執ってやられるタイプもありますし、またいろいろな組合せ方も当然あろうかと思っております。

菅直人

2009-03-05 第171回国会 参議院 予算委員会 第7号

咸臨丸でアメリカに行き、帰国した勝海舟に当時の老中が、何か目に付いたことがあろう、再三再四聞かれた。勝海舟は次のように答えている。アメリカでは、政府でも民間でも、およそ人の上に立つ者は、皆その地位相応に利口でございます、この点ばかりは全く我が国と反対のように思われますると答えたら、老中が目を丸くして、無礼者、下がりおろう、こういうふうに激怒したとこの本に書いてあります。

平田健二

2008-12-05 第170回国会 衆議院 予算委員会 第6号

責任者将軍もそうですが、そのときの責任者大老とか老中が次々かわる。しかし、何にも決められない。ただ時間だけが過ぎている。その状況と今似ている。そういう意見もありました。  この定額給付金、最初は、全世帯にお配りをすると総理は言われました。どうしてこれは全世帯にお配りすることが大事だと思われたわけですか。

笹木竜三

2005-03-03 第162回国会 参議院 予算委員会 第4号

前にこれは衆議院でどこかでお話ししたと記憶をしますが、一八五三年にペリー日本に来航したときに、時の老中筆頭酒井伊勢守正弘諸侯意見を、(発言する者あり)済みませんでした、阿部伊勢守正弘という人が諸侯意見を聞くということで、当時、役人や、旗本と当時言ったんですが、旗本というのの中に、御存じのような勝海舟辺りの国防会所なんというのが出たあのときなんですが、あれから比べてずっといろいろな流れが出て、

麻生太郎

2005-03-01 第162回国会 衆議院 予算委員会 第19号

小泉総理は、三位一体改革の全体像の取りまとめに当たって、地方の言うことを聞いたのは、幕末黒船来航の際に、時の老中阿部正弘が開国の可否を諸侯有司に問うとして以来、百五十年ぶりの画期的なことであったというふうに述べておられますが、私は、肝心かなめ税源移譲については極めて不十分であったと思います。  

山本喜代宏

2005-02-17 第162回国会 衆議院 予算委員会 第14号

麻生国務大臣 いろいろ評価の分かれるところなのかとは存じますけれども、少なくともこれまでの間に、松崎先生、この種の大きな決定をするに当たって、国が地方意見を尊重して、地方の提案をベースにして事を進めたという例は、ペリー来航のときに、時の老中筆頭福山藩主阿部伊勢守正弘地方の列侯の意見を聞いたとき以来、百五十六年ぶりでこういったことをやったというのが正直なところなんです。  

麻生太郎

1990-04-17 第118回国会 衆議院 農林水産委員会 第9号

○遠藤(登)委員 いわば農業者高齢化社会ということとあわせて生きがい対策ということもあって、何もかも後継者というわけにいかない深刻な人手不足の実情があって、高齢者生きがい中堅農家の就農と、中国ではないが老中青のそういう仕組みが相まって農業、農村の再建というか発展を期していくという構造の中では、大先輩の果たす役割も非常に大事な要件だと思うのであります。ぜひひとつ善処方をお願いしたい。  

遠藤登

1981-05-14 第94回国会 参議院 外務委員会 第8号

を指摘した幕末外交官竹内下野守なり松平石見守なりが、ロシア天文台に、ペテルスブルグに掲げられてあったイギリス製地図が樺太の五十度以南日本領に書かれているのであって、あなたの国の天文台が世界的に共通に掲げている地図には北緯五十度以南日本になっているじゃないかと言われて、ついにロシアも屈せざるを得なかったという事例もあるので、破れたといえども幕末崩壊期にあっても、腰抜け外交と言われて安藤老中

戸叶武

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