2006-06-01 第164回国会 衆議院 本会議 第33号
日本国憲法が無条件で国民投票を求めている背景には、昭和十三年の国家総動員法の成立を契機として翼賛議会が存続した、そういう歴史がありました。こうしたことが、議会だけに任せておけないという制度になっているものと考えることができるでありましょう。 そこで、与党案、民主党案の提案者にお尋ねいたします。
日本国憲法が無条件で国民投票を求めている背景には、昭和十三年の国家総動員法の成立を契機として翼賛議会が存続した、そういう歴史がありました。こうしたことが、議会だけに任せておけないという制度になっているものと考えることができるでありましょう。 そこで、与党案、民主党案の提案者にお尋ねいたします。
正に、翼賛議会並みの立法権のじゅうりん、ナチスのドイツ、ナチス・ドイツの全権委任法並みのファッショ的な立法だと言わなきゃならぬ、そういうことになるんじゃありませんか。 なぜこんなずさんな法案、三権分立を侵すような法律がこの国会に提出されてきたのか。それはやっぱり小泉首相の個性や政治手法に大きく影響されているように私は思えてなりません。
戦後、軍人軍属の定義をしようとしたけれども、当時、昭和二十年三月、戦争も敗色濃い末期でありまして、また国会は翼賛議会であり、立法権が機能していなかった、こういう時期ですね。しかも、戦後は我が国は現憲法の法体系に変わっていたわけでして、やむなく既存の戦時中の閣議決定を立法に準じた扱いとして引用した、正に例外中の例外なんですね。
そういたしますと、要するに議会は、事実上、大統領の選挙人を選挙するのと同じような結果しか持たないわけでございまして、四〇%台で選ばれた大統領が八〇%、九〇%の翼賛議会を持っているのと同じような政治的状況が生まれてしまうということを、非常に私どもとしては危惧するわけでございます。
今想起すべきは、戦前、反対者なしの翼賛議会のもとであの無謀な十五年戦争を遂行し、破局を招いた歴史であり、これを再び繰り返してはなりません。共産党を排除してつくった税制協議会は、みずから非公開を決めている密室協議の場であり、私的なものにすぎないことは明白であります。総理の見解を求めます。
つまり政府の力が非常に強大で、国会の力は翼賛議会という名前で言われるぐらいに弱かったのであります。そこで、戦争に負けてから、国会の機能をもっと充実させなければいかぬというので、私たちはあのような考え方でそのようにしたわけです。その結果、国会の機能はかなり強大になり、充実してきたわけでございます。
御承知のように、旧憲法下では天皇が統治権の総撹者の立場にありましたし、天皇が立法権者であって、帝国議会は翼賛議会であり、そして議員は翼賛議員であった。
もっと真剣で、もっと気違いじみたやつが政治家の中からも出てこなけりゃ、こんなしらばっくれた論議で、政府の翼賛議会にも等しいような論議をやっていること自身が国民に対して私は相済まないというむせぶような思いで胸を引き裂くものがあるのであります。 右翼の人でも、純粋であったがゆえに、テロもしないでみずからを影山正治君は腹切って鉄砲で死んでいきました。
第七十六帝国議会こそは、日本の国を破滅の道に追い込んだあの太平洋戦争突入直前の議会であり、当時、議会は政府、軍部の道具と化し、国家総動員法など戦争遂行の法案を、審議も尽くさず、もろ手を挙げて賛成する翼賛議会となっていたのであります。
諸君の先輩が、戦前、戦時中にかけて軍部ファシズムの前に屈服し、翼賛議会をつくり、日本の民主主義の上にぬぐうことのできない汚点を残し、この日本を無謀な戦争にかり立てた、あの不幸な歴史を想起されて、再びその誤りを繰り返さないためにも、憲法に違反し、民主主義をじゅうりんし、国民生活を破壊してきた田中内閣不信任決議案に今度こそ積極的に賛成されんことを心から期待して、提案理由の説明を終わるものであります。
これでは、議会は形骸にひとしく、まさに過去の翼賛議会になるのであります。主権在民の憲法下にある地方自治のあり方を根本的からくつがえすことになりませんか、お伺いいたします。 また、知事権限を著しく剥奪したのは、国土開発は国の事務であって、知事に機関委任しているにすぎないという考え方でありましょうか。地域開発こそ直接地域住民の利害にかかわり、生活を支配するものであるだけに、納得できません。
いわゆる二・二六事件のあとを受けた廣田弘毅内閣で、しかも提起者が陸軍大臣であったということ、あるいは昭和十七年四月の翼賛議会選挙を経て、その十七年九月二十六日から二十九日の間にわたる大政翼賛会第三回中央協力会議で、時の資本の代表である膳桂之助氏が強く求めた道州制論であったということ、それが万国博覧会を中心としながら、関西財界でもって一回、二回、三回と、こういう形で累積的に決議が行なわれてきているというところ
十七年四月に東条英機首相の翼賛議会選挙が行なわれた。そして翼賛議会が生まれ、そして敗戦まで総選挙が行なわれなかった。それから昭和十七年九月二十六日から九月二十九日まで四日間、大政翼賛会第三回中央協力会議が持たれた。日本の資本の代表である膳桂之助氏が道州制を唱えた。それに対して内務次官山崎さんが反対した。そして折衷的に地方運営のああいう形が敗戦前後まで残るところの状態が出た。
その直後、二・二六事件が発生、やがて戦争、翼賛議会、敗戦、占領という大きな国家的試練を受けました。私も一時政界への道を断たれ、野にあって新生日本の再建に情熱を傾けました。(拍手) 昭和二十七年、再び本院に議席を得まして、祖国の復興と議会制民主政治の確立に参加できましたことは、この上ない喜びであります。
徹底した翼賛議会。またがってのわが国の治安維持法以上のきびしい法律が施行されております。そして政治を批判する者や思想犯は遠慮会釈なく軍事法廷にかけられる。その実態は御存じだと思います。また先ほど強制送還で問題になった陳、あるいは柳の経緯というものも外務省当局は御存じだろうと思います。また台湾で有名な事件があります。
そういうことになると、今度は政党も、また東条内閣時代の翼賛議会みたいなことにならぬとも限らぬ。そうすると、日本の平和憲法なんというものは、非常に有名無実になってしまう。いまそろそろ有名無実になりつつあるのだけれども……。とにかく非常に危険がある。というのは、憲法九条があれだけ明確な規定をしておるにかかわらず、御用学者の言をたてにして、そうして今日のごとく拡張解釈してしもうた。
かつて東条内閣のもと、翼賛議会においては、多数決どころか満場一致で米英との戦争を支持したのであります。総理の今後の政治に対する姿勢である寛容と忍耐には限度があるということがいかなることであるのか、この国会を通じて国民に明らかにしていただきたいと思うのでございます。(拍手) 次に、質問の第一点といたしまして、貿易の自由化に伴う諸問題についてお伺いいたします。
○戸叶武君 この点が、やはり先ほど羽生さんも指摘したような憲法八十五条にもひっかかってくることでありまして、私はこの国会の承認を得なければならぬというところに重点があるんだが、事後に承認を得れば、どんどん政府は先に独走してしまっていいというような今までの外交のやり方というものは、議院内閣制というものを口にしながら、とにかくこれを翼賛議会にしようというファッショ的なやり方なんです。
議会があたかも何か翼賛議会のような形さえ考えられるというふうなことでありまして、私ども議員といたしましては、非常な問題でありますので、強く要請をいたしましたがあの問題につきまして、委員長としては、どういう取り計らいをしておられるか、これをちょっと議事進行という意味でありますが委員長にお尋ねをいたす次第であります。
私は、戦前、官僚が軍部と結んで次第にフアッショ化し、議会を無視し、議会を引きずって翼賛議会にしていった過程を今ここに思い起し、佐藤軍務局長が「黙れ」と議員をしかりとばし、元貴族院の本議場において、美濃部達吉先生に一身上の弁明を余儀なくせしめ、ついに沈黙を守らざるを得ざらしめた議会史の暗い過去を思い起さざるを得ないのを遺憾に思うのであります。
これが官僚内閣やあるいは戦前の翼賛議会のもとにおける天皇輔弼の閣僚でありまするならば、またこれは別でございます。民主議会の上に立っておる政党政治の上に立つ内閣であります。しかもその内閣は先ほど申し上げるように、国民の批判を受けないで新しい政策を発表するからにおいては、私ども社会党も同様の意味で重い荷をしょうことになる。