1956-03-23 第24回国会 衆議院 本会議 第26号
あなたが、その翼政会の代議士会において敢然としてこれに反対し、そのときの幹部と戦って、ついに少数で敗れて、即日あなたは東京を去って軽井沢に行かれた。それ以来、戦争が済むまでは軽井沢におられて、一ぺんも出てこられなかった姿を私は知っております。私は、そのときに、鳩山さんという人の本心を見抜いたような気がした。しかるに、今日あなたのやられることはどうですか。東条内閣と同じことですよ。
あなたが、その翼政会の代議士会において敢然としてこれに反対し、そのときの幹部と戦って、ついに少数で敗れて、即日あなたは東京を去って軽井沢に行かれた。それ以来、戦争が済むまでは軽井沢におられて、一ぺんも出てこられなかった姿を私は知っております。私は、そのときに、鳩山さんという人の本心を見抜いたような気がした。しかるに、今日あなたのやられることはどうですか。東条内閣と同じことですよ。
昨年行われた一万九十名の追放解除者の中には、戰時中の大臣や、翼賛会、翼政会の中央における指導者も含まれていたのでありますが、たまたま町村長であつたがゆえに翼賛会の支部長という名前を貸しただけの者が、いつまでも解除の恩典に恵まれず、依然として追放のまま放任せられることは、何としても納得のできない問題であります。
尚最近の河上丈太郎氏の追放のごときは、明らかに翼賛会の総務であるとか、或はい翼政会の発起人であるとか、翼賛政治会の顧問であるとか、或いはその点で、資格の点で間違つておるか合りませんけれども、この三つの資格が、どれがあつたも当然形式的に衆議院議員は追放に値するものであるのであります。
追放の理由として推薦議員、翼賛会総務、翼政会の発起人であつたことがあげられている。河上氏の追放確定はいろいろ影響があると思うが、なお政界の大物で訴願中の者について政府は諸般の手続を進め、愼重に審査を続けている、こういうことが過ちなければ、これが苫米地官房長官の十三日に発表した談話であります。