2020-07-22 第201回国会 衆議院 文部科学委員会 第11号
これを踏まえまして、少人数指導や、放課後、夏季休業中の補習、習熟度別学習の実施など、全国各地において、学習指導を実施するための人員の配置や、校内の消毒等の教員業務支援のための人員の配置などが大規模に実施をされる予定であります。
これを踏まえまして、少人数指導や、放課後、夏季休業中の補習、習熟度別学習の実施など、全国各地において、学習指導を実施するための人員の配置や、校内の消毒等の教員業務支援のための人員の配置などが大規模に実施をされる予定であります。
これを踏まえまして、少人数指導や、放課後、夏季休業中の補習、習熟度別学習の実施など、全国各地において、学習指導を充実させるための人員配置や、御指摘の校内の消毒等の教員業務支援のための人員配置などが大規模に実施をされる予定であります。
これを踏まえまして、少人数指導や放課後、夏季休業中の補習、習熟度別学習の実施など、全国各地において学習指導を充実するための人員配置や校内の消毒等の教員業務支援のための人員配置などが大規模に実施される予定です。 なお、執行残額につきましては既に各自治体に対して二次募集を始めており、現場や教育委員会の声をしっかり聞きながら、各自治体における追加ニーズに迅速に対応してまいりたいと思っております。
この多数同時接続という特性を生かしまして、地域によりましては一つの学級に複数の学年の生徒さんが在籍している、この多数同時接続を生かして習熟度別学習をしていただいたり、あるいは、地域によっては技能系の授業を行うに際しまして専門の教員の方がおられないといったことも考えられますので、ここを遠隔でつないで、音楽や体育、ダンスの授業をしていただくということも含めて、この5Gの特性を生かしたモデルの構築を進めてまいりたいと
あるいは、習熟度別学習も、アルファ、ベータ、ガンマと三クラスに分けてやったんです。よくできる子、中間の子、あるいは進度の遅い子と。ところが、ガンマのクラスは、親も子供も劣等感にさいなまれて、学級が荒れてきまして、ますます成績が下がってしまった、そんなことで、少人数学級も習熟度学習もやめてしまったという経験が実はございます。
私は、学校の経験から、必ずしも、習熟度別学習は教育効果が上がるのかどうかということに疑問を持っておるものでございます。さらに、最近の超優秀な生徒たちが大体国公立の医学部に行くんです、国公立の医学部。超優秀なのはそこへ集中しています。日本は科学技術創造立国でしか生きていけないといいながら、優秀な理系の学生は全部そこへ集中しています。
今、総理の言葉の中にも習熟度別学習なんという言葉もありました。そういった点を考えていくと、もう教員の増員というのは、第八次定数改善は待ったなしの課題ではないかというふうに私は思っております。
例えば、実際、習熟度別学習というのは行われているんですけれども、塾に行っている子と行っていない子で見事に習熟度別では上と下にそのまま分けられるという形になっています。
その中で、学力の格差という問題が取り上げる際に、総理はその都度、習熟度別学習というものの成果を非常に強調をされました。私自身も習熟度別学習というものを否定するものでは決してありませんし、推進すべきところは推進すべきだというふうに思っておるわけでありますが、そういう議論の中で、何かどうも学力だけに偏った学校における格差の問題が議論されているのではないのかなという疑問を持ちました。
○広中和歌子君 それから、地域によってはもう既に実行されていると思いますけれども、是非、習熟度別学習というんでしょうか、それもやっていただければ有り難いなと。すべての人を同じレベルで教えるというのは、ある子にとっては退屈ですし、ある子にとっては苦痛であると、そういうようなこともあるわけですから、こういう方向も工夫をしていただく。
この教育課程を実施するために、関連事業として、週六日制の実施、教科担当制、習熟度別学習の導入、到達目標の設定、転入生などに対する補充的な授業の実施等々につきまして、関連事業として展開しております。 本事業の開始による成果と思われるものをここで最後に御紹介して、終わりたいと思います。 まず、入学児童生徒数は、私たちの予想を超えるほどの反応がございました。図表にしておりますので、ごらんください。
いずれにしましても、文部科学省としましては、確かな学力向上のために、少人数指導、習熟度別学習の推進、あるいは学力向上アクションプログラムを推進しているところでございまして、引き続き、新学習指導要領のねらいの実現を目指して、確かな学力の向上のために取り組んでまいる所存でございます。 以上でございます。
あるいは、指導力不足教員の追放、あるいは教員の十年研修制度を新たに設けるとか、あるいは一般社会人の経験のある方に校長先生になっていただこう、こんなこともやりましたし、教員採用についても、面接を重視して、頭だけで、学力があるだけで先生じゃない、人間的な魅力を子供が感ずるようなそういう教師を採ろうということも努力をしてまいりましたし、習熟度別学習あるいは絶対評価制度などというのも入れました。
二つには、反復学習や習熟度別学習など基礎、基本の確実な定着に重点を置いて指導を行うというふうな形で、その教科の、何というんでしょうかね、成績の問題等について落後者を出さないような教育を行おうというようなケースもございます。
今日的な教育政策を教育基本法に位置づけることでお墨つきをもらう、オーソライズドする、そしてより一層、それぞれの中身、さっきの不適格教員の問題にしろ習熟度別学習にしろ、これらについて加速し強めていく、そのために教育振興基本計画が今提起され、そして教育基本法に盛り込まれようとしている、これが第一の役割ですね。
その趣旨は、みずから学び、みずから考える力をはぐくんでいくこと、あるいは個性、能力を最大限に伸ばしていくことも重視してこうした新しい制度をつくっているわけでありますが、そういった中にあって、体験的学習、習熟度別学習、選択学習、あるいは個に応じた学習、こうした少人数学習を重視するというような考え方も盛り込んでいるわけでありまして、そういった制度の中でこの創造的な人材、知的財産権を重視し、そして創造できるような
そうした習熟度別学習を常態化させれば、人間同士が協力し合い人間性をはぐくむという教育の大切な営みが破壊されます。 今やるべきことは、極端に門戸が閉ざされている新卒者を大量に採用して、専科教員の充実、少人数授業、少人数学級のための十分な人員配置をすべきであり、国の責任で三十人以下学級の実現に踏み出すことです。
そういう少人数指導というふうなことをやったり、あるいはチームティーチングというものをやったり、あるいは社会人の登用などによりまして複数の目で子供たちを見るのと同時に、一人一人の本当に伸びる力を伸ばし、あるいはゆっくりと学んでいくという子供たちに対してもそれに応じたような教育をしていく、それは一人一人の子供たちが本当に将来自分の力を伸ばしていくために非常に大事だと思っておりますので、私は、習熟度別学習
ですから、習熟度別学習というものが大事だということを強調したわけでございまして、それは何とか学級、何とか学級というふうに固定してやるというのは私も反対でございます。 つまり、習熟度別の指導におきましては、できるだけそれらの地域の実情、学校の実情に合わせるということ、そして、その学校の実態に合わせて、優れたいろんな手段を用いながらやると。
しかし、今、政府の推進しようとしている習熟度別学習は、できない子はできないままでいいという考えに基づくもので、多数の子供を低学力のままに放置するに等しいものです。このことは、新学習指導要領の原案を作った当時の教育課程審議会の会長が、できぬ者はできぬままで結構、これからはできる者を限りなく伸ばすことに労力を振り向けるとあけすけに述べていることからも明らかです。
また、少人数学習あるいは習熟度別学習、個々に応じた学習も可能になるわけであります。ゆとり教育におけるいろいろな問題点を踏まえた上で、ことし四月から、そういった新しい体制、一律に行われる教育から個々に応じた教育に切りかえたというのが今日の姿であります。
ですから、個々に応じた教育を行うということで少人数学習や習熟度別学習を行うわけでありますから、学習単位というのも絶えず変わるわけであります。組み合わせも数も変わるということになりますと、従来のように一律に教育を行い、その中で、全体の中でどこに位置するかという相対的な評価というもの、これは新しい体制の中ではなじまないということ、これは十分御理解いただけるというふうに思います。
全員に一律同じ教育を行っていた今までの体制と比べて、新しい体制においては、基礎、基本の上に上乗せ、選択あるいは習熟度別学習、個々の対応を可能にする、要するに、効率的に時間を使うというのが新しい体制の大変重要なポイントだというふうに思っています。時間数の削減ということ、これも決して軽視することはできませんが、時間をいかに効率的に使うかということが大変重要だと思います。
そうした項目の状況であるというようなことを説明申し上げ、さらに、基礎、基本の厳選の上にこの新しい体制というものは、選択ですとかあるいは発展的学習、要するに上乗せを可能とし、そして習熟度別学習ですとか少人数学習ですとか、そうした個々に応じた対応を可能とするわけであります。
だから、さっき、習熟度別学習も必要だろうと、こう言っているけれども、これは行き過ぎると、能力に応じて行く学校も学級もみんな変わってくるよと。そうすると、これは差別化、序列化につながる危険が多分にある。