2021-05-19 第204回国会 参議院 本会議 第23号
先生は、昭和四十二年七月、後の内閣総理大臣羽田孜先生の御長男としてお生まれになりました。子供の頃から保育園の先生になりたいとの夢を持たれ、敬和学園高等学校を経て、玉川大学文学部芸術学科児童専修課程を御卒業、保育士の資格を取得されました。 平成四年四月から伊藤忠記念財団に勤務をされ、全国子供文庫に対する助成など、児童館活動、野外活動に携われました。
先生は、昭和四十二年七月、後の内閣総理大臣羽田孜先生の御長男としてお生まれになりました。子供の頃から保育園の先生になりたいとの夢を持たれ、敬和学園高等学校を経て、玉川大学文学部芸術学科児童専修課程を御卒業、保育士の資格を取得されました。 平成四年四月から伊藤忠記念財団に勤務をされ、全国子供文庫に対する助成など、児童館活動、野外活動に携われました。
次に、議長から、故羽田孜先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 本日の議事は、以上でございます。
この選挙区、この小さな選挙区で長年選出をされてきたのは井出一太郎先生、井出正一さん、そして羽田武嗣郎先生、羽田孜先生であります。 一言付け加えて、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
平成五年六月、政治の師匠であった田村元先生のいさめを振り切って羽田孜先生と共に行動をいたしました。平成十二年の小選挙区選挙に落選、その後、参議院選挙、知事選挙に連続して敗退いたしました。それにもかかわらず、平成十六年の参議院選挙全国比例区で国政に復活させていただきました。支援者の皆様に生かされているとの思いでいっぱいでございます。 平成二十二年秋、予算委員長に就任。
私が尊敬をしております羽田孜先生は、四十三年間、長野の地で御努力をいただいてまいりました。大変すばらしい政治家であります。当時、長野冬季オリンピック・パラリンピックも開催が決定をしたというふうなこともございまして、上信越自動車道を初め高速道路網、さらには長野新幹線の開業等、大きく前進がされたわけであります。
当時、民主党の羽田孜先生、この方がお元気でいらっしゃいまして、そして各党との話し合いのときには、森元総理と羽田孜先生と絶えず相談をしながら話を進めていただいたわけでございます。 私は、この議連の設立や活動について、小異を捨てて大同につくという大きな方針を掲げておりました。私の頭の中には、常に三分の二という数字があったからであります。
○国務大臣(北澤俊美君) 十五年でありますから、そう短い言葉で表現するのは難しいと思いますが、しかし、モンデール・橋本会談で決定をされた直後、私も羽田孜先生と沖縄へ行って大田知事とも会談をしてまいりました。
本来は温故知新でございますが、これは実は、羽田孜先生が、色紙に求められると必ずここに温故創新という言葉を書くわけでございます。
当時、小渕総理も学生時代に頻繁に沖縄へ行かれて沖縄に対する思いを非常に強くして、大変に意気投合したことを今思い出しておるわけでありまして、私はこのとき大田知事に羽田孜先生と一緒にお行き合いしに行って会談もさせていただきました。
そしてそのとき、今と違うのは、いわゆる通産省は、例の省エネルックですよ、今、羽田孜先生がよく着ておられる。あれも、やはり国民的に、これからは脱石油だというような、いろいろな知恵を各省庁が出してきて、これからの脱石油、省エネの時代へ各省とも政策を競ったというような感じがありました。
○国務大臣(亀井善之君) 学校給食の問題、今、委員御指摘の、そして長官からもお話し申し上げました、その当時、昭和五十六年、昭和五十八年当時、お父上の羽田孜先生が農林水産委員長で、私、農水の理事をしておりまして、先ほどお話しの、委員長の下でいろいろな食品、大変グルメであると同時に非常にそういう面に幅広く、また先進的なお考えを、お知恵をお持ちでございまして、いろいろのことをしたことを記憶にございます。
羽田孜先生のところだけですよ。 決して我が党は、これが有利だ、これが不利だから、有利だと賛成で不利だから反対と言っているのじゃありません。まさに一九九三年以来、あるいはそれ以前から、政権交代を可能にするには小選挙区中心の制度がいいのではないか。当時、それは賛成された方も反対された方もあるかもしれませんが、最終的には、与野党を含めて一定の合意に達したわけであります。
それらの議員連盟の中で出てきた意見を集約してかりますと、例えば、羽田孜先生からは、体によい温泉には健康保険を適用してもいいんじゃないかというような提言、あるいは二階俊博議員からは、祝日、三連休をもっとふやしましょうという意見、さらには保利耕輔議員からは、温泉都市整備のために地方財政措置を講じていただきたいということが言われております。
当時、羽田孜先生もそのメンバーのお一人だったと聞いているわけです。 ただ、やはり本来あるべき姿からすると、私どもは、一般会計に帰属をさせて、その中で査定をされて、予算を執行していくのが望ましいと考えておりまして、実は産業投資特別会計法の一部改正案も用意をして、各政党の皆様方に、できれば修正を考えていたところであります。
きのうの質問で矢上雅義君は、秋田県の玉川温泉の開発に関連して、我が党の羽田孜幹事長の十年以上にわたる強力な働きかけがあり、このような中で、林野弘済会として出資を行い、株を取得して開発に参加した、この二件の株取得の問題のうち一件が、総理大臣、農林大臣を務められた羽田孜先生が強力に働きかけて行われたのではないかという事実が調査の中で明らかになっておる、政官業の癒着ということで、羽田幹事長、自由民主党に対
○伴政府参考人 今ほども申し上げましたが、昭和六十年十月に羽田孜先生が秋田に行かれまして、当時の営林局長が現地を案内いたしました。それ以降、温泉開発につきまして、今お話もありましたが、有効資源ということもありまして、これを林野関係で受けとめるように重ねて要請があったことはありました。
○伴政府参考人 本事案につきましては、昭和六十年十月に羽田孜先生が秋田を訪問されまして、当時の秋田営林局長が現地を御案内申し上げております。それ以降、当該温泉の開発につきまして、林野関係で受けとめろというようなことまで、重ねて要請があった次第であります。
○矢上委員 それでは、答弁ができないということでございますので、私としましては、二件ある株取得の問題のうち一件が、総理大臣、農林大臣を務められた羽田孜先生が強力に働きかけて行われたのではないかという事実が調査の中で明らかになっております。
当時、連立与党は羽田孜先生が外務大臣、それから畑先生が農林水産大臣で、もっと積極的にやってほしい、こういうことを私は申し上げた経過があったと思うのだけれども、その後、これを受け入れた後も韓国は、新税を取り入れて、そして国費ということで一年間で二千億円、これは従来の農漁村予算とは全く違う立場で予算を組むということを明快にして、内容も明らかにされているというように伺っているわけでありますが、その韓国のウルグアイ・ラウンド
大蔵大臣もお務めになり、そして私が今農林水産物の貿易対策委員長をさせていただいておりますが、その前任者は羽田孜先生であられたわけでありますが、そういう農業のことについてもお詳しい。また、文化摩擦なんという問題も最近は出てきておりますが、そういう広範な司令官というのは、これは最後は総理大臣だと思いますけれども、やはり司令官というのが必要だと思うのですよ、ブリタンとかあるいはカンターさんに相当する。
政界再編成四人衆なんという言葉がございまして、羽田派の羽田孜先生、あるいはシリウスの江田五月さん、日本新党の細川護煕代表、維新の会の大前研一さんを四人衆というのだそうでありますけれども、私は、確かに政界再編成、あるいはこれから二大政党に向かっていくということも国民の大きな期待だと思いますが、今現実的に、それでは今の我が国の状態においてこのことが本当に今すぐ望まれているかということをもう一度やはり落ちついて