2007-06-05 第166回国会 衆議院 財務金融委員会 第17号
その中の一つに井上育英会、これは、明治の元勲と言われる井上馨侯が創立されて、途中基金が乏しくなったときに鮎川義介さんが資金を補充して、今も八十年を超える歴史を誇っております。 その中からは、官界あるいは経済界、学界その他でいろいろ活躍しておられる方もおられます。
その中の一つに井上育英会、これは、明治の元勲と言われる井上馨侯が創立されて、途中基金が乏しくなったときに鮎川義介さんが資金を補充して、今も八十年を超える歴史を誇っております。 その中からは、官界あるいは経済界、学界その他でいろいろ活躍しておられる方もおられます。
先ほど来、参考人の方々の御意見を拝聴し、また今、同僚委員の質問にもお答えいただいていることをお聞きして、私ごとで恐縮でありますが、実はちょうど四十年前の昭和二十九年になりますが、戦後、鮎川義介先生がA級戦犯として巣鴨に数年間入っておられました。
あるいはまた東京の三河島の駅の前で御商売をしておられます檜山義介さん、こういうような人などは本当に一生懸命になって、赤堀の無罪を証明したいというのでいろいろな証拠を集めるために努力をしてくれたり、そういう人がいまではたくさん出てまいりましたけれども、その当時は、だれ一人として顧みる人もなかった。ですから、こういう裁判等がいわばわりに抵抗なしに行われたのではないかと思います。
昭和三十四年、本院参議院通常選挙において、いまは亡き鮎川義介参議院議員と御子息の金次郎氏が立候補され、そろって当選されましたが、その後金次郎君の選挙違反が続出し、国民の批判を受けるに至りますと、父義介氏は、辞職して国民にわびよと、金次郎君に辞職を勧告いたしたのであります。金次郎君は、私自身直接の違反がないから、直ちに辞職しようとはしなかったのであります。
なお、前回の参議院選挙の際の鮎川義介氏親子の選挙違反については、これはその捜査が急速に進められまして、その内容が判明いたしましたから、ついに両氏は、当選したせがれのほうも、その当時参議院議員であった鮎川義介氏も、その職をいさぎよくやめられて、そうして前非を悔いて、その裁判に対しての情状の点については、これは相当考慮があったと思いますが、そういうような処置に出られた点もあるわけです。
もちろん鮎川義介総裁の中政連をはじめとし、山田泰吉会長の全商連、特に中野喜介会長の都商連など、加えて竹内藤七会長の全国食肉など、食料品関係を含めた全国の中小企業者が、あげて私と同意見であり、同様に反対を唱えておりますことをはっきりと申し述べておきます。
○猪俣委員 過ぐる参議院選挙、この前の前になりますが、鮎川義介の選挙に関しまして、及び小西英雄氏の選挙に関しまして、総参謀みたいなことをやって、多額の金をばらまいて、この人物から金をもらったということで十数人の人が検挙せられた。この人物も検挙せられた。その十数人は全部刑に服しておるのに、この人物だけいま控訴している。第一審はもちろん有罪であります。公民権の停止である。
せんだって鮎川義介さんが、むすこさんの違反にいさぎよく議員をおやめになった、これは大へん良心的で、非常に私けっこうだったと存じます。私どもは、裁判中はその期間議員としての資格を一時停止していただいて、その裁決を待つべきだと考えられます。
すなわち、二キ三スケとは、東条英機、彼は関東軍の参謀長、星野直樹、満州国政府の総務長官、松岡洋右、満鉄総裁、鮎川義介、満州重工総裁、岸信介、満州国政府実業部次長として、当時の実質的な満州の軍事、経済の最高指導者であったわけです。そして現在の官房長官の椎名さんが、岸さんの片腕として、当時は満州政府鉱工司長ということであなたを助けた。
それから最後に、福岡地方裁判所の秋根義介の件でございますが、これは被害金額二百四十七万円余りに対しまして、ほぼ半額に相当いたします百二十七万千二百円というものを回収いたしております。残額につきましては、やはり昨年の三月二十七日に、裁判上の和解が成立いたしておる、かような状況でございます。
午前十一時三分散会 ─────・───── ○本日の会議に付した案件 一、日程第一 議席の指定 一、議員鮎川義介君及び鮎川金次郎君辞職の件
林屋亀次郎君 堀 末治君 前田 久吉君 横山 フク君 木村禧八郎君 椿 繁夫君 成瀬 幡治君 野溝 勝君 原島 宏治君 天田 勝正君 永末 英一君 鮎川 義介君
○政府委員(小山雄二君) 中小企業団体中央会会長は鮎川義介氏であります。
塩見 俊二君 西川甚五郎君 林屋亀次郎君 堀 末治君 木村禧八郎君 椿 繁夫君 永末 英一君 成瀬 幡治君 野溝 勝君 原島 宏治君 天田 勝正君 鮎川 義介君
大谷 贇雄君 岡崎 真一君 梶原 茂嘉君 上林 忠次君 木内 四郎君 河野 謙三君 堀 末治君 天田 勝正君 木村禧八郎君 永末 英一君 原島 宏治君 鮎川 義介君
迫水 久常君 塩見 俊二君 西川甚五郎君 林田 正治君 前田佳都男君 宮澤 喜一君 小笠原二三男君 小酒井義男君 椿 繁夫君 野溝 勝君 杉山 昌作君 鮎川 義介君
○石山委員 去年でしたか、鮎川義介さんがあの問題に関して向うをたずねて、いささかの成果をおさめたというように新聞に伝えられておりました。私ときどき考えるのですが、日本の指導的地位にある経済人、あるいは電力開発の外資導入の場合等、それぞれ指導者の方々がたくさんおいでになる、悪いことではないと思います。ただし私は藤山さんがおいでになったときは、一体何をやってこられたのかと思っているのです。
八幡製鉄代表取締役社長渡辺義介、富士製鉄代表取締役社長永野重雄、日本鋼管河田重氏と、フィリピン・アイアン・マインズ・コーポレーション社長のヘンリー・J・ベルデンという人の間に、木下商店を代理取扱い者とするこの三者の契約書を見ると、これらの百万ドルの機械がフィリピンに行かなくてはならぬようになっているのですよ。ところが現実にこの機械がフィリピンに行っておるかおらぬか。
山本 米治君 平林 剛君 天坊 裕彦君 委員 岡崎 真一君 木暮武太夫君 高橋 衛君 前田佳都男君 宮澤 喜一君 小酒井義男君 椿 繁夫君 鮎川 義介君
迫水 久常君 塩見 俊二君 土田國太郎君 林田 正治君 廣瀬 久忠君 宮澤 喜一君 荒木正三郎君 江田 三郎君 大矢 正君 野溝 勝君 杉山 昌作君 鮎川 義介君