1975-05-08 第75回国会 参議院 文教委員会 第9号
いま金額が違っておる点も、これもそのとおりでございますが、これまた、一つは沿革の問題もあるわけでございまして、学士院が明治十二年に発足をして同年からそういう制度ができた、芸術院につきましては四十年に美術審査委員会というようなことから発足しまして途中からこういう金の問題がついてまいっておる、そういうような沿革上の問題、これもあるいは理由にならないとおっしゃればそれまででございますが、そういう理由もある
いま金額が違っておる点も、これもそのとおりでございますが、これまた、一つは沿革の問題もあるわけでございまして、学士院が明治十二年に発足をして同年からそういう制度ができた、芸術院につきましては四十年に美術審査委員会というようなことから発足しまして途中からこういう金の問題がついてまいっておる、そういうような沿革上の問題、これもあるいは理由にならないとおっしゃればそれまででございますが、そういう理由もある
それから日本芸術院につきましては、明治四十年に美術審査委員会官制というものが公布されておりまして、それが大正八年に帝国美術院規程というものに変わりました。さらに昭和十年におきましては帝国美術院官制という形になりまして、昭和十二年には帝国芸術院官制というふうにさらに改められております。
日本芸術院の沿革については、先生すでに御承知と思いますけれども、これは当初は明治四十年に美術審査委員会官制というものができまして、この美術審査委員会は、文部省美術展覧会、いわゆる文展の開設に伴いまして、その出品作品を審査するというものであったわけでありますが、大正八年に至りましてこれが廃止になりまして、新たに帝国美術院が置かれたわけであります。