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20件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1984-10-04 第101回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

実は優良企業美福が、約百億円もの使途不明金といわれるその八割以上を抱えている福交不動産の赤字会社に逆さ合併されたと、これは恐らく租税回避ではなかろうかというようなうわさもございます。私は大蔵大臣にお聞きしたいのは、そのほか一連の問題があの国会の追及以後もどんどん出てきてるんです。

下田京子

1984-10-04 第101回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

説明員吉田正輝君) 具体的な返済金額を答弁することは、個別でございますので差し控えさせていただきますけれども、新聞報道によります美福ビル売却は行われておりまして、日債銀に対する債務の一部返済に充てられているところでございます。ただ、那須のロイヤルホテルについてはまだ売却が行われないと聞いております。

吉田正輝

1984-04-19 第101回国会 衆議院 決算委員会 第8号

その後、どういうつてでか兼松江商に食い込んで大阪市で材木商美福を興した、これが美福の始まりであります。  そして、最近といいますか、今話題にしております国有林交換が行われるちょっと前、昭和三十三年の十二月ですか、福島県の開発課係長を巻き込みまして、村有林払い下げに、これはまんまと成功いたしました。かわりに村長に対して百万円の通帳を贈りました。これはやはり法務省もねらいました。

島田琢郎

1984-04-19 第101回国会 衆議院 決算委員会 第8号

先ほども指摘をいたしました美福は、その後、美福不動産を設立されておるのでありますが、実は美福というのは当時は不動産という名前ではなくて、美福という株式会社でございました。これは、この新聞によりますと、小針暦二氏が持っております企業グループ、これは二十数社あるそうでありますが、まさにこの美福というのは総司令部的役割を果たしている。言葉をかえて言えば、悪さの頂点に立っている総司令部であります。

島田琢郎

1984-04-18 第101回国会 衆議院 大蔵委員会 第16号

これが余人ならばいざ知らず、現在小針社長の問題あるいは福島交通不動産福島交通の問題あるいは美福の問題、そしてこれらに七百三十億円もの大量の貸し付けを行いました日債銀の問題というのが問題になっておりますときに、これら銀行融資を監督する総責任の立場にある蔵相についてこういう記事が一流紙に出ておるということは、このまま済ますことのできない問題であります。

正森成二

1984-04-11 第101回国会 衆議院 建設委員会 第6号

○中島(武)委員 実は、御本人は五十年から美福ビルの方に勤務しているというふうに言っているのですね。どっちにしましても、今、答弁があったように、宅建業法違反ということは実ははっきりしていると思うのです。実は、当初は、当社に新宿営業所がありまして、その住所は、先ほど本人が言うたと言いました新宿市谷八幡町十四番地となっていますが、ここは五十七年三月三十日付で廃止されております。

中島武敏

1984-04-11 第101回国会 衆議院 法務委員会 第8号

それが株価を七百倍にもして、同族会社の例えば美福という会社福島不動産に五十円株を三万七千円で売りつけて百六億円の金を福島不動産から取って、それで百億の借入金がたちまちなくなったとか、あるいは今言ったような土地転がしをしているとか、あるいは多額の使途不明金のある会社があるとか、そういうのが約三十社ぐらいありまして、そして同族会社でやっているわけです。  

林百郎

1984-04-09 第101回国会 参議院 予算委員会 第19号

五十四年六月に美福が追加していますが、それを入れても五億円弱なんですよ。そうすると美福が入れた土地というのは十七番とか十九番、中には七十九番などという順位で、担保能力が非常に疑わしい状態ですよ。五十三年六月に差し入れた土地にしてもほとんどが三番から四番抵当でありまして、上位抵当権金額は二億円を超えるようでありますから、実際の担保能力は三億円以下と見られます、これ。

和田静夫

1984-03-27 第101回国会 参議院 法務委員会 第2号

橋本敦君 もう一つの不思議は、この福島交通不動産という会社は、これは小針氏が福島交通社長になってわずか三カ月後につくられたもの、しかもこの福島交通不動産の本社はどこに置かれたかというと、これは有名な話でありますけれども、小針氏が社長をやり、国会議員が八人の取締役のうち五人まで占めていた、こういう異例な会社である株式会社美福ここの中に本店が置かれている。全く小針自身会社であります。

橋本敦

1966-11-25 第52回国会 参議院 農林水産委員会 閉会後第5号

たとえば志賀町の天神山、あの国有林もあれば、さらに共和との直接関係はどうか私もつまびらかにいたしておりませんが、那須美福何とか株式会社というのが、交換をやってやはり決算委員会で問題になったのですが、これや、それから国土開発が同じように芦屋市で行なった国有林交換があります。

矢山有作

1966-11-18 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第11号

これは美福という会社にやはり重政氏が名前を連ねておった。これで当委員会でもずいぶん問題にいたしました。で、そのときに、美幅交換地としてその提供した新潟県の民有林のもとの所有者興国人絹パルプで、同じく鳥取県の興国人絹パルプ所有林国土開発という会社が買い受けて、これが西宮の剣谷の国有林交換をされた、これが三十八年十月二十八日、このもとの所有者興国人絹パルプ

二宮文造

1966-09-27 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第5号

それから美福この株式会社においても那須において続いて行なわれているというようなことで、国有林交換、そのほかあとで出てまいります売り払い、貸し付け等についても特定のブローカー的な人に続いて処理されているという問題について疑惑を持つ点があるのであります。こういう点について、しかも、この件数を見ますというと、いま見ただけでもそういうものが多い。  

北村暢

1966-09-01 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第3号

これは先ほどの邪教の国有林についても、第一回の払い下げ後に重政誠之氏が美福株式会社取締役として名を連ねた。私よく使うことばに、李下に冠を正さずということばがありますけれども、まさしくそういうことからすれば国民は疑惑の目を持たざるを得ない。現に丸尾山の国有林については、これは海抜約百メートル前後の丘陵地帯ですから、坪二万円ないしはそれ以上というふうな地価の評価が出ております。

二宮文造

1966-09-01 第52回国会 参議院 決算委員会 閉会後第3号

なぜかと申しますと、もっと具体的に申し上げますと、前回大森氏が指摘いたしました那須国有林と、それから那須国有林に関する美福との交換の問題でございますが、この美福株式会社という株式会社社長は、役員名簿を見ますと、これは国会議員でありますところの重政誠之氏、元の農林大臣です、当時の農林大臣です、いまこの事件の当時の。

二宮文造

1966-06-30 第51回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

稲葉誠一君 いま、さっき公取の事務局長がお話しになった中で、美福江商との関係争いが起きて、和解が成立をし、そのときに十八億の債務があることが確認された、こういうような話が報告あったように聞いておったわけですが、この債務関係金額争いがあるんじゃないですか。そこが一つの問題になって、美福江商との間で争いがあり、仮処分が行なわれたのじゃないですか。

稲葉誠一

1966-06-30 第51回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

争いがあるので、美福側の代表的な人、代理人ですか、それと江商側代理人とが、再三その金額のことについて交渉しているわけです。その交渉のときに代理人になったのはだれかということ、これが問題になるわけですが、美福側の代理人として出てきたのは、重政誠之氏が代理人として出てきている。江商側代理人として出てきたのはだれかというと、東京銀行の頭取の堀江氏が出てきたと言われている。

稲葉誠一

1966-06-30 第51回国会 参議院 決算委員会 閉会後第2号

稲葉誠一君 いやいや、東京銀行本店審査部の者が那須の現地へ行って、美福交換した土地を評価しておるでしょう。坪七百円で評価して、そうして江商に金を貸して、江商から美福へ金が来ておるでしょう。それで美福江商との間で二十何億の債権債務争いがありましたね。いまも話が出たでしょう、あるのですね。そのときに、いいですか、江商側代理人となって出てきたのはだれかというと、東京銀行の人ですよ。

稲葉誠一

1966-06-08 第51回国会 参議院 決算委員会 第17号

つまり先ほど申し上げたように、藤和不動産に分譲したのは三十八万坪ですから、国のほうから交換を受けた土地で、結局美福が取得している土地はさっき言い忘れましたけれども、七十八万坪に相なる。つまり国有地交換分のうち三十八万坪を藤和不動産のほうに、藤田組のほうに売りましたから、百十六万坪のうちから三十八万坪を引いて七十八万坪残っている。

大森創造

1966-06-08 第51回国会 参議院 決算委員会 第17号

この三十八万坪、百何ぼですか——売り渡したのは三百七十一町歩、百十六万坪というものを、前に美福株式会社が取得したけれども、そのうちの三十八万坪は藤田組のほうに売ったのだ。三十八万坪を——いいですか、メモ書いてください、数字がわからないと、あなた方だめだから、百十六万坪国からもらって、そのうち三十八万坪を藤田組のほうに売ったのですよ。

大森創造

1966-05-30 第51回国会 参議院 決算委員会 第15号

このことは、私自身江商美福双方で確かめた、まるっきり交換のために。それで林野庁交換ができるという見通しが立ってから、美福が興人から買ったのです。もともと美福所有ではないということです。こういう問題を長官御存じないが、そういう下話を背景にしてこの事件をごらんになると、以下私は数点質問いたします。  国にとってこの必要性は那辺にあったのか。

大森創造

1966-05-30 第51回国会 参議院 決算委員会 第15号

大森創造君 美福所有は、大体いろいろな工作を行なって、林野庁がこの新潟県の土地とそれから那須土地交換ができる、契約ができろという見通しが立ってから、美幅がばんと買い入れているのですよ、その百前に。大体これは何億にもわたる、しかも全国に二つのうち一つ、しかも美福というのはどういう会社かお調べになりましたか、どういう会社か。

大森創造

1966-05-30 第51回国会 参議院 決算委員会 第15号

美福所有ではないのです。興国人絹はそれを少しでも高く林野庁に売りたいと思っていた。これは私は全部物的証拠を持っておりますから。で、また貿易会社である江商は、美福に対して当時すでに元本十八億円の焦げつき債権を持っていた。その回収に苦慮していたんですよ。あなたのほうで交換をされた美福という株式会社は、これは江商が十八億円の巨額の焦げつき債権を持っていた。この背景をひとつ頭の中に入れておいてください。

大森創造

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