2006-04-28 第164回国会 衆議院 厚生労働委員会 第19号
先般の参考人の質疑の中でも、御意見の中でも、あれは横浜市立大母子医療センターの奥田美加さんという女医さんのお話でしたか、もう辛うじて七十一歳のおばあちゃんの力もあって維持しているけれども、やめたい人は身の回りにはいっぱいいるし、これがどこまで続くかわからない、そういうことをおっしゃっていましたよね。 船橋の市立医療センターというところに行きましたら、やはり小児科部長は女性でした。
先般の参考人の質疑の中でも、御意見の中でも、あれは横浜市立大母子医療センターの奥田美加さんという女医さんのお話でしたか、もう辛うじて七十一歳のおばあちゃんの力もあって維持しているけれども、やめたい人は身の回りにはいっぱいいるし、これがどこまで続くかわからない、そういうことをおっしゃっていましたよね。 船橋の市立医療センターというところに行きましたら、やはり小児科部長は女性でした。
全国市長会国民健康保険対策特別委員会委員長) 河内山哲朗君 参考人 (社会福祉法人賛育会賛育会病院院長) 鴨下 重彦君 参考人 (鳥羽市立神島診療所所長) 奥野 正孝君 参考人 (NPO法人日本がん患者団体協議会理事長) 山崎 文昭君 参考人 (横浜市立大学附属市民総合医療センター母子医療センター医師) 奥田 美加君
本日は、各案審査のため、参考人として、全国市長会国民健康保険対策特別委員会委員長河内山哲朗君、社会福祉法人賛育会賛育会病院院長鴨下重彦君、鳥羽市立神島診療所所長奥野正孝君、NPO法人日本がん患者団体協議会理事長山崎文昭君、横浜市立大学附属市民総合医療センター母子医療センター医師奥田美加君、日本福祉大学社会福祉学部教授近藤克則君、以上六名の方々に御出席をいただいております。
一番最初に日本から肝臓を求めて行ったのは高橋美加ちゃん、これは三年前です。ちょうど私が日本に帰ってきましたとき、東京医大の木村幸三郎教授から、どうしても助けたい、親は医者であるし、開業医院の土地を売って助けたい、そういう意見を聞きました。それで早速アメリカに紹介状を書きました。それが口火になって次々と出かけていったのですけれども、それは外国に対して済まないという気持ちもあります。