2002-02-20 第154回国会 衆議院 予算委員会 第14号
「羅生門」であるのか、まあ「薮の中」の世界みたいな議論でございます。したがって、私どもは、たびたび紛糾しましたが、政府としての正式見解をつくってくれ、こう要望して、官房長官は、つくる、こう言われたわけでございます。
「羅生門」であるのか、まあ「薮の中」の世界みたいな議論でございます。したがって、私どもは、たびたび紛糾しましたが、政府としての正式見解をつくってくれ、こう要望して、官房長官は、つくる、こう言われたわけでございます。
私は、総理が、芥川龍之介風に、真相はやぶの中というところに封印をして、シナリオ永田町風「羅生門」というものを演出されたと思います。その結果、国民に絶望的な政治不信というものを広めたのではないか。 しかし、この予算委員会の舞台では、もう一つ、総理の責任、説明責任という最終幕があると思っております。国民は見ております。
黒澤作品、「羅生門」、戦後間もない一九五一年にベネチア映画祭でグランプリを受賞したことをきっかけにいたしまして、日本映画への注目とかそれから国際的な評価というのが非常に高まったんです。私もそういうことを再認識させていただいたわけでございます。「羅生門」だとかそれから「七人の侍」だとか「隠し砦の三悪人」、こういうふうな懐かしい映画を繰り返しテレビが放映しておりまして、私も見せていただきました。
○国務大臣(与謝野馨君) 多分昭和二十八年か九年に京マチ子さんが出ておられる黒澤監督の「羅生門」がグランプリをとりました。私は当時エジプトにおりましたが、エジプトにもその映画が回ってまいりまして私も見たことがございます。 そういう意味では、やはり日本映画は日本人の感性をあらわしているわけですから、私も好きな俳優もたくさんおりますし、また好きな監督もおります。
羅生門はつくろうというふうに言ってますが、大極殿もつくろうという話があるわけでございますが、そういう日本文化の遺産を残すという面では、もっとそういうところにどんどん公共事業の概念、建設国債の概念も拡大していただいて、十分そういうところに力を入れていただきたいということを最後に答弁求めまして、私、質問を終わりたいと思います。
例えば「羅生門」でグランプリをもらった、あるいは「地獄門」でグランプリをもらった、「西鶴一代女」とかいろいろな映画で数多くの賞をもらった。最近もまた賞をもらっておられます。
すなわち、一九五一年のベネチア映画芸術国際博覧会での大映の「羅生門」がグランプリ賞を受賞して以来、世界各地での国際映画祭で数多くの受賞作品を生み出し、国際的に見ましても最も高い水準にあるわけでございますが、今日、こうしたすぐれた力が全く発揮できないでいるのが現状でございます。 こう考えますと、いまこそ日本映画の復興のために政治の光を当てるべきではないでしょうか。
向こうは向こうで、「羅生門」じゃないけれども、同じ事実を向こうの都合のいいように解釈する。それを双方とも了解をするというやり方が日韓の外交の基本的姿勢ではなかったか、私はこう思うのであります。どうなんですか。
私たちは、いまおっしゃったように、「羅生門」の場合に「せいさくしゃ」というのがもし出てくれば「ころも」がなかったと思うのですね。その場合の永田さんはプロデューサーであって、決してディレクターではない。ディレクターはあくまで黒澤明である。そうしますと、その点からいいまして、日本語の通常の感覚からいってもこの訳は適切でないということはもう明らかだと思うのです。
たとえば「羅生門」という国際的な映画がありますけれども、この場合制作者というのは永田雅一でぱっと大きく出ますね。映画監督は黒澤明です。主演は三船敏郎、こうなるわけですけれども、その場合に一体どこに著作権があるのかということになりますと、一体大映にあるのか永田雅一にあるのか、あるいは黒澤明の傑作として将来残るのか、これは非常に大きな問題だと思うのですね。
○河上委員 考えてないとおっしゃっても、現実にさっき私は「羅生門」の例を出したわけですけれども、「羅生門」のように国際的に通用する映画ができた場合に、一体プロデューサーとディレクターとメーカーと、どこに著作権があるのかというのは重要な問題ですわね。そういうことを、たまたま文章に出てこないから私は知りませんということでは済まないのじゃないでしょうか。
永田氏とは私も知らない仲じゃありませんが、なかなか元気のいい人でございまして、テレビが普及してきたから映画産業も受け身にはなってきたが、長い蓄積があるのだ、一つずつ土地を売ってもまだつぶれるようなものじゃないよ、「羅生門」や何かでもって世界的なグランプリをとったわれわれが、そう簡単にまいるものではないぞ、まだ鳴り響く永田ラッパ、やはりこういうことでございまして、私はそんなふうには理解してなかったのです
「羅生門」みたいなもので一発取りますと、世界じゅうであれを見てくれて、日本に対する非常な好奇心を起こすわけです。「羅生門」の内容は古い物語ですが、あそこにやはり精神構造その他で近代日本というものは生きている。そういう意味で黒沢さんとか三船敏郎という人も日本の観光政策に非常に貢献しておると思う。そういうある意味における非常に広い広がりを持った観光のしかたというものも考えていいと思う。
をやわらげるという、こういった面と、いま言った人種が違おうと、国が離れようと、国際的に親善を深めていくというところにやはり観光というものの本義があるのじゃないか、そうして、まあ国際収支の赤字も、日本ができるだけいろいろ宣伝をしてお客さんによけい来てもらうということは、その付帯的な産物としてやはりこれは、決して軽視はしないが、大事には考えるけれども、やはりその辺のことでやってもらわないと、海外へ出て行くやつが——、羅生門
案外大事なものは映画を通ずる部面であると思いまして、たとえば「羅生門」という映画がグランプリを取った。あるいは「雨月物語」というのがグランプリを取った。あれは一つで世界じゅうに日本という名が知れ渡りました。
「羅生門」にいたしましても、その他の多くの作品にいたしましても、その原作はすぐれた文芸作品であります。そうしますると、その民族の品位を高める、だけでなくて、PRにもなる。また外貨の獲得にもなっております。輸出産業には、御承知のように輸出産業に対する税の特例というものがあって、外貨収益に対して政府は若干の優遇もいたしております。間接的にそういう面からも芸術家は優遇されてよいという一面もある。
純然たる外国人に見せるものは「羅生門」その他ごく少数だと思います。そこで、この際一対一のバーターにすれば、すでに日本でもりっぱな映画を作れますし、また今まで非常に輸入が制限されておりましたソ連の映画であるとか、ポーランド、チェコスロバキア等の映画が、一対一であれば相当入ってくると思います。
今日本で「二十四の瞳」、だとか「羅生門」とか出ますけれども、それは行ってみますと、アメリカの、カリフォルニアとか、ハワイの日本人の映画館でやっておるだけであって、一般のアメリカ人は見ていない。
たとえばヴェニスのコンクールかどこかのコンクールで最優秀賞であったとか、あるいはその他でたとえば「羅生門」のように最優秀賞であったというものは無条件で入れるとか、そういうような措置を情報文化局として希望してそのワクをとられたのか、何かそれに対する基準があるのか、その点を伺いたい。
現にアメリカに行っておる映画は「羅生門」とか多少名の売れたものは行っておりますけれども、それ以外ほとんど出ておりません。御承知のように、太平洋沿岸のカリフォルニア、オレゴン、ワシントンあるいはハワイ、日本人のたくさん集まっておるところには、毎日日本映画をやるところがありますが、フィルムがなくて困っておる。
アメリカから百五十本入れるならば、アメリカは少くとも日本の映画を百五十本買うべし、そうして今までの映画のように、羅生門であるとか地獄門のように、ときたま一本作ってそれが珍重されるということにあらずして、年々外国から入れる本数だけ出るということになれば、もっと日本の映画は技術面と内容においても輸出に適するように進歩発達する。
これは国内法だけではできません問題でして、アメリカのほうで、例えば日本で、映画「羅生門」などが向うへ行く、映画料金をもらう場合におきましては、アメリカの国内法だけですと、制限納税義務者の関係から三割の源泉課税をすることになつております。それが、この条約ができますと一割五分の源泉課税になるわけです。そういつたような関係で、制限納税義務者に対する課税権をお互いに調整し合う。
羅生門などという映画は、御承知のごとく世界各国においても大きな評価を生み、次々にこれに準ずるものが出ているが、これに対する奨励政策を政府は一ぺんでも講じたことがありますか。何もないではありませんか。あれは向うで、カンヌやヴエニスで、これは世界一のものだということを認めたから、それがはね返つて来て、ようやくこれを確認するというわけで、それではいけない。
私たちが行つているときにパキスタンではレールの問題に関連して八幡製鉄が天然色映画を持つて行きまして、非常に効果を挙げておりましたし、インドにおいては大映の羅生門や雪割草というものが想像以上に非常に国民から歓迎を受けておりましたが、外務省といたしまして、近代日本の新らしい動きを紹介するなり産業を紹介するなり、そういうような形で文化程度が割合に低く、日本に対していろいろな意味で興味をもちかけている東南アジア