2005-04-05 第162回国会 衆議院 法務委員会 第10号
その点について、今までの体制というのは、例えば罪意識を反省させるというような場合に、教誨師という方が面会をして、そしていろいろ反省する。この教誨師の方々はほとんど宗教家が多いんですね。もちろん宗教家がいけないというわけじゃないのですが、ただ、この方たちも最近ではカウンセリングの技法を身につけようということが進んでおりまして、大変結構なことだと思うんです。
その点について、今までの体制というのは、例えば罪意識を反省させるというような場合に、教誨師という方が面会をして、そしていろいろ反省する。この教誨師の方々はほとんど宗教家が多いんですね。もちろん宗教家がいけないというわけじゃないのですが、ただ、この方たちも最近ではカウンセリングの技法を身につけようということが進んでおりまして、大変結構なことだと思うんです。
いろいろな調査、詳しくは申し上げませんけれども、によりますと、最近の特徴としまして、犯罪者の罪意識が非常に不足しているというか、ないということが特徴としてよく指摘されております。この罪意識をどのようにして持たせるかというのが第一のポイントであろうと思います。それから、第二のポイントとして、犯罪を犯す人たちに決定的に見られる特徴として、秩序感覚の不足ということが挙げられると思います。
私は、今回の両トップ企業における不祥事を見ておりまして思いますことは、経営陣に、罪を犯した、違法行為をしたという瞭罪意識がないのではないかというふうに感じます。 野村証券の三月まで社長をしておった酒巻英雄氏も国会に三回参りました。
きょうお配りいただいた資料の中にも、東友会と書いてありますけれども、アンケートといいますか、生存者の意識というのはこの調査でも、これは時間の関係で説明がなかったかもしれませんけれども、「罪意識 水をやらなかったので」というのが三%、二百五十一人もいる。また、「地獄(この世のものとも思えない、阿鼻叫喚)」が相当な数。
今回の改正の理由の中にございます、捕まった方が運が悪かったというような感覚ではいけないというようなことも、これはスピード違反につきましてもそうですけれども、一般的に交通違反といいますのは、どちらかといいますと運が悪かったと、罪意識を持たないわけです。
したがって、税調に対しても今回は竹下さんが今謝っていられるように、罪意識があるわけだから、今度はっきり税調に我々の考えはこうだということを示すべきじゃないかと思うんですが、いかがでございますか。
というのは、昔はいわゆるやみ米というものに対しては売る方も買う方も一つの罪意識を持っていたので、それはいろいろなところでチェック作用が働くけれども、今買う方は、そういうあるルートで安いのを買ってくる、そして売って、それを食べる方は、買う国民は、随分安い飯だというので感謝しながらやる、そうしたら一体社会倫理の問題はどうなるのかということを心配して追及したわけでございます。
昔はやみ米というものに対しては、法律無視の行動はみんな慎んでおりましたし、そして、やみ米に対しては罪意識を持った。しかし、現在、公然とこれに類することが行われてもだれも罰せられないし、社会規範を冒潰しているという意識も起きていな。これは、現行制度が矛盾を深め、しかも、こういうことが農業の病理現象の原因になっていることが結局国民共通認識となっているから当たり前になってきたのじゃないか。
その中ではもっと、これは精神分析学上の問題として、被爆者は原爆でもってあれだけの多量の死を見ると、死の印象が焼きつけられてどうしようもないと、そして、その中で生き残ったこと自身が一つの罪意識になってかぶってくる。
被害者は、まず外からの刺激に感じなくなる「心理的な締め出し」自分一人だけ生き残ったということから「罪意識」、さらに極端には「心理的麻痺症」、こういうものにおちいって、うつろな虚無の状態である「真空状態」をうろついている、こう指摘をしております。