2015-04-24 第189回国会 衆議院 経済産業委員会 第11号
中国電力に何であったかというと、大臣と私は同じ世代だから我々はわかりますけれども、三段跳びの織田幹雄さん、金メダルをとった。それのお兄さん、織田史郎さんという方が中国電力の相当重鎮になられたんです。この方が、要するに電源開発促進三法ですね、それでダムをつくって、そして、不利益をこうむる、川底に沈む。それの代替にいろいろ何かしてやろうと。
中国電力に何であったかというと、大臣と私は同じ世代だから我々はわかりますけれども、三段跳びの織田幹雄さん、金メダルをとった。それのお兄さん、織田史郎さんという方が中国電力の相当重鎮になられたんです。この方が、要するに電源開発促進三法ですね、それでダムをつくって、そして、不利益をこうむる、川底に沈む。それの代替にいろいろ何かしてやろうと。
もちろん、陸上競技場ですけれども、サッカーやラグビー、古くからその舞台となり、また、ここを舞台にしながら、かつては織田幹雄さんや南部忠平さんが世界記録も樹立した、非常に歴史的な意義のある競技場であると思います。 第二次世界大戦中には学徒出陣の壮行会も開催をされた。
各競技種目がそれぞれ必死にやっておられるというときに、私、今のお話を伺いながら思い出したんですが、昔々、織田幹雄さんがジャイアンツの長嶋茂雄さんを見て、もったいないな、陸上競技やってくれたらすごいのにと言われたという話を聞きました。
○大武説明員 文部省からも種々御説明はいただいておりますが、今申し上げましたように、例えば川上哲治さんですとか織田幹雄さんですとか、やはりスポーツに長年貢献された方には、今申し上げたような文化功労賞に係る年金というものも非課税になっているわけです。
昭和六十三年には織田幹雄氏が選ばれておりますが、文部省といたしましても、スポーツ選手の社会的評価を向上させるという意味で今後ともスポーツ関係者の顕彰ということに最大限の努力をしてまいりたい。
それからまた、織田幹雄さんが初めて獲得されたオリンピックの日本初の金メダル、そういった大変貴重な、いわば明治以来の日本のスポーツの発展を跡づけるような資料が保存されておるわけであります。約二万点と聞きました。案内には三万点とあるのですが、職員の方は二万点と言っている。そして実際に展示されていますのは、会場の狭さもありまして千五百点であります。
織田幹雄さんなどが入っておられて、活動してこられた。ところが、昭和四十九年から委員会が開かれなくなった。現在、事実上の廃止状態になっておる。業務が順調にやられておるならいいわけですが、私の調べた限りでも、先ほど言いましたこともありますし、それ以外にもいろいろ問題がございます。
織田幹雄さんがこういうことを言っているのですね。「オリンピックはどんどん変わっている。このままでは、国を背景にしたプロの競技会と変わらなくなってしまう。それなら世界選手権でたくさんだ。オリンピックをそう方向づけたのは、実はソ連なんだ。そのソ連が起こしたアフガン問題をきっかけに、オリンピックを本当の意味での国際交流、国際親善に役立てる大会にしなくては」こういうコメントを出しております。
○説明員(西村勝巳君) たとえば織田幹雄のような人がおります。それから中等の関係でもあげているわけでございますけれども、これはまあ新聞発表のときに、たとえば河西昌枝さんの手記というようなものが載っておりまして、あの中にまあ大松先生というようなことばがございます。でありますから、正式に生きている人というのは非常に少ないわけでございまして、客観的に価値の定まっているという人が中心でございます。
ただしその際はきわめて少数の人間に限定をされて、たとえば長年アマチュアリズムの発達に功労があった——まあなくなった人なら差しさわりはないから申し上げますが、三船名人であるとか、あるいは飛田穂洲氏であるとか、あるいは差しさわりのないところでいえば、やっぱり織田幹雄君なども、この表彰に値する人だと私は思っております。
これは非常にとんでもない案ですけれども、朝日の天声人語子が、明治、大正、昭和と分けて、各年代におけるスポーツの先達——昭和は先達はないだろうけれども、明治時代で金栗さんなら金栗さん、昭和なら織田幹雄君というような者を、競技場を入って三つに分けて——ことに今度のオリンピック大会の階段は二百何段かあるそうで、年寄りではとても登れないだろうから、三つに分けたらというようなおもしろい構想も出ていました。
織田幹雄君が三段飛びでアムステルダムで十五メートル二十一、これを記録して、あの国立競技場の中の日章旗の掲揚塔は十五メートル二十一になっておる。フィンランドのヘルシンキの競技場へ行きますと物見やぐらがある、高い展望台があるのですが、あれはヤルビネンという選手が世界記録の七十二メートル七十一を投げた、それからこういうものが始まってきたわけです。
もう少し、セオリーもいいけれども、日本人がたとえば、織田幹雄君なり西田君なり南部君なりが勝ったころの、あの人自体の素質もありますけれども、選手の根性なんですよ。日本人の、極端に言えばやまと魂があった、そういうものが私は欠けておると思う。そういうものをよみがえらせるために、もう少し野球やその他の例を見まして、府県別でもようございます、団体別でもようございます、学校別でもようございます。
選手強化対策本 部本部長) 田畑 政治君 参 考 人 (日本体育協会 東京オリンピッ ク選手強化対策 本部副本部長) 大島 鎌吉君 参 考 人 (日本体育協会 東京オリンピッ ク選手強化対策 本部常任委員) 織田 幹雄
すなわち、オリンピック東京大会準備促進に関する件につきまして、日本体育協会東京オリンピック選手強化対策本部本部長田畑政治君、同副本部長大島謙吉君、同常任委員織田幹雄君、同小池禮三君、同近藤天君、同八田一朗君、日本体育協会日本オリンピック委員会委員野村恵二君を参考人と決定し、本日その意見を聴取いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕