1997-05-07 第140回国会 衆議院 内閣委員会 第4号
御案内のとおりにアイヌの記録というのは非常にいろいろな学説がありますが、室町時代から鎌倉時代、こう言われておりますし、人類学的に見ても、縄文前期、この縄文前期というのは、幸い釧路に、東釧路人、これは釧路貝塚で、私の友人が発掘したわけでありますが、この中で、いわゆる人類学的に見てそういったルーツというものも想定されているわけでございますが、いずれにいたしましても、擦文文化、八世紀ごろからオホーツク文化
御案内のとおりにアイヌの記録というのは非常にいろいろな学説がありますが、室町時代から鎌倉時代、こう言われておりますし、人類学的に見ても、縄文前期、この縄文前期というのは、幸い釧路に、東釧路人、これは釧路貝塚で、私の友人が発掘したわけでありますが、この中で、いわゆる人類学的に見てそういったルーツというものも想定されているわけでございますが、いずれにいたしましても、擦文文化、八世紀ごろからオホーツク文化
○原(茂)分科員 そこで、この阿久遺跡というのは、正確には五十一年の五月十七日、縄文前期の集落跡であるということが学者その他で確認をされたわけです。現在までにこの遺跡からは関山併行期のいわゆる住居祉三十三カ所、それから黒浜併行期の住居祉七カ所、諸磯併行期の住祉十三カ所が発見されて現在に至っております。これは縄文時代の前期あるいは前半期の集落跡である、こういうふうに明らかにされているわけであります。
文化庁の態度も、やはりあらゆる困難はあるでしょうが、絶対に現状保存、かつてないような縄文前期の遺跡だから絶対に保存したい、どんな困難があってもやりたいという考えを貫き通しながら一々いろいろな問題に対して対応していくようなことをぜひ考えていただかなければいけないと思いますが、どうお考えでしょうか。
次に、文化庁からも来ていただいて、それから道路公団からも来ていただきましたが、原村の縄文前期の阿久遺跡と推定されるもの、非常に大がかりな遺跡だというので、国家的に非常に貴重な価値があると学者の皆さんが言っておられますが、私も現地に行ってまいりましたが、相当広範囲にわたっておりますし、これがいまつくっております中央高速道路に真正面にぶつかるわけであります。
次いで、原村の縄文前期とおぼしい阿久遺跡が発掘されておりますが、これに関しましてお伺いをしたいと思います。 そこで、諏訪湖のいまの浄化の方針というのは第二次処理方式でやっておりまして、地元あるいはその他関連する市町村からの強い要求で、これを第三次処理をどうしてもやってもらいたいというような要望が出ておりますが、この点は御存じでございますか。
しかも、北半分が縄文前期、南半分が縄文後期ということで、両方合わせましてわが国で最大、かつ最も貴重だというようなことが言われておるようでございます。