2012-03-29 第180回国会 参議院 総務委員会 第8号
王家という呼び名を使っていることについて大変な批判が出ておりますが、これ、この呼び名を使っていらっしゃる歴史考証をやった方が東大史料編纂所の准教授の本郷さんという方で、それはこの方の学説なんでしょうが、一般的な学説ではありません。これは文科省や教科書委員会などにも聞きましたが、そうではありません。それを決め打ちで使っている。
王家という呼び名を使っていることについて大変な批判が出ておりますが、これ、この呼び名を使っていらっしゃる歴史考証をやった方が東大史料編纂所の准教授の本郷さんという方で、それはこの方の学説なんでしょうが、一般的な学説ではありません。これは文科省や教科書委員会などにも聞きましたが、そうではありません。それを決め打ちで使っている。
韓国の国史編纂委員会が所蔵する対馬宗家文書、これは戦前に朝鮮総督府が対馬宗家から購入したものを戦後に韓国政府が継承したものです。ですから、私が盗難文化財と申し上げたのは、例えば高麗版の大般若経とか、そういったことと……(発言する者あり)おっしゃるとおり、勘違いをしましたので、その点については午前の答弁を修正をさせていただきたいと。山本さん、失礼いたしました。
その中の代表的なものとして対馬宗家の文書、韓国の国史編纂委員会が所蔵しているものが二万八千冊の存在というものが確認をされたということですね。これは一九二六年と三八年に朝鮮総督府が宗家から購入をしているということです。
先ほどの件ですけれども、この対馬宗家の文書というものは国史編纂委員会が所蔵している、そして時期的にはまさに併合の時代にもたらされた、朝鮮総督府が入手をした。こういうことでいえば、この朝鮮儀軌と同じ、裏返しのカテゴリーに入るんじゃないんですか。
今回、我が党の指摘で、初めて外務省は、今韓国に有する我が国の貴重な文書の実態というものが明らかになりまして、先ほどの参考人招致の中でも、韓国の国史編纂委員会が持っている二万八千冊に及ぶ対馬宗家文書、これは非常に貴重なものだ、研究的な資料の価値も高いし、国宝級のものだとも言われているわけであります。
○田代参考人 私が最初に韓国に行きましたときに、この閲覧の権限は全部国史編纂委員会の委員長が持っておりました。その委員長がこれをお見せできない理由ということで申されたことは、朝鮮戦争が終わった後、私たちがソウルに戻ってきて見た光景というのを話していただきました。
では、次に、まさに田代先生の御専門であります日本由来の対馬宗家文書、これが一部、二万八千冊程度が韓国の国史編纂委員会に保管をされているということを先ほど御説明もいただきました。それに関して、先生の方からは、これまでこういった資料に日本の研究者としてアクセスを求めていく中で、非常に困難な過程を経ながらも、恐らく、少しずつ解除を進めていただいたというような過程があったと思うんです。
例えば、韓国の国史編纂委員会が所有をしております約二万八千冊の対馬宗家文書、これは一九二六年と一九三八年に日本の朝鮮総督府が対馬宗家より購入したということでありますが、これは研究者によっても大変な文化財的な価値があると伺っております。 この文書の価値について、外務大臣の評価をお伺いします。
今御指摘がありましたように、国史編纂委員会にある対馬宗家文書二万八千冊、国立中央図書館に一般書籍また朝鮮総督府刊行物などが数十万冊、また、国家記録院に一般書籍が五千冊、韓国学中央研究院に一般書籍が一万三千冊あるというふうな報告とともに、専門家の方々からは、国史編纂委員会が所有する対馬宗家文書には原本や唯一である本が多く含まれる可能性があって、文化財としても学術的にも重要なものが含まれる、こういう報告
外務省からもらった資料には、例えば、国史編纂委員会に二万八千冊の対馬宗家文書がある、大変貴重なものである。これは外務省の資料なんです。大臣、こういうものについて、韓国側に日本に引き渡せと要求するおつもりはありますか。
○政府参考人(山崎日出男君) 統一的な調査というところまではなかなか行っていないところはあろうかと思いますけれども、例えば平成八年度の委託調査でありますとか、あるいはほかの機関が行った資料の調査の情報の収集、例えば東京大学の史料編纂所が行いました調査に関します情報の収集でありますとか、あるいはアジア経済研究所の行いました調査の情報収集等を随時行っているところでございます。
出版の責任者は内閣制度百年史編纂委員会、発行、内閣官房。 これはまさに、少なくとも、先ほどからそんなことはないといって私が言ったことを嘲笑するような態度をとった閣僚もいたけれども、法制局長官、内閣官房が出した規定で、そこでそういう規定をはっきりしている。しかも、この編集委員の中には、その高辻元内閣法制局長官も入っていますが、現職の菅野国立公文書館長、これも入ってつくっているんです。
そして、三番目の方は学習院大学大学院修了ということでございますが、この十年十一月というところを見ていただければ、東京大学史料編纂所研究機関研究員ということで、この方もまた東京大学の関係者であるということが明らかでございます。
○木島委員 統一協会歴史編纂委員会というところが「史報」という文書を発行しているわけです。ここに、一九九二年の三、四月合併号でしょうか、写しを持ってきております。そこに、三月二十五日から四月一日までの文鮮明の行動が克明に記載をされております。 簡単に拾っただけでも、三月二十六日、信者の歓迎会出席。三月二十七日、本部教会で一千人の信者、四百人の職員らへの講義、三百名のアジア平和連合の幹部に講義。
それは、たくさんの文献が戦後出されておりますが、例えば満州国史編纂刊行会というところから、「満州国史」というのが出されておりまして、その総論の方で書かれておる問題に溥儀と本庄の秘密協定というのがございます。満州国皇帝であった溥儀、これと関東軍司令官であった本庄との間の秘密協定でありまして、この秘密協定は最近に至ってテレビでも放送されました。
これは近衛文麿伝記編纂刊行会のあらわしたものであります。そこには、近衛内閣が辞表を提出したときに陛下にこのことを率直に訴えだということが、辞表の中に載っております。
午後の参考人として、税制調査会会長小倉武一君、立教大学経済学部教授和田八束君、日本経済新聞社東京本社編纂局次長鈴木隆君、東京経済法律研究所所長飯田久一郎君の四名の方々の御出席を願っております。 参考人各位には、御多用中のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。
「本書中の教材を甚だしく変更せずして教授し得る学校の為に別に児童用書を編纂せり。児童用書は教師用書を用ひて教授したる事項の大要を後日」、そのときじゃないんですよ。「後日生徒をして回想せしむる為のものにして、これを用ふれば生徒に筆記せしむる時間と労とを節約するを得べし。変更したる教材に於いては適宜生徒に筆記せしむべし。」、こうなんです。
旧教科書編纂の際に尋常小学校第四学年以下の児童用書を省きたるは此の程度の児童が教科用書を利用し難きを認めたるに依りしなり。然るに爾後の取調に依れば、尋常小学校の第三学年よりは筆算を課するを以て、児童用教科書を編纂して以て児童に便すること難きにあらず。
この放送が一般公衆に与える影響は、これまた非常に大きいと思うわけでございまして、これらのことから、放送事業者の番組編纂に当たっての最小限の準則を定めましたのが放送法の第四十四条の三項だと考えておるわけでございまして、これは憲法が保障するいわゆる表現の自由に対する制約として許容される範囲内のものであろうというふうに考えておるわけでございます。
○諸沢政府委員 これはちょっと凡例というのではないのですけれども、当時の教師用書の趣旨のようなことが出ておりますが、「教師用書には児童用書について「本書中の教材を甚だしく變更せずして教授し得る學校の爲に別に児童用書を編纂せり」と述べている。
其ノ理由トスル所ハ主トシテ児童ノ感興ヲ助ケ又善良ナル感化ヲ受ケシムルコト、掛図ト相須チテ教授ノ効果ヲ完カラシムルコト、復習ノ便ヲ与フルコト、家庭トノ連絡ニ益スルコトノ諸点ナリキ其ノ有ルヲ否トスル理由ノ中経済上父兄ノ負担ヲ少カラシメントスルハ頗ル考慮スベキ問題ナレドモ、今回ハ教育教授ノ効果ニ着眼シ、又多数実際家ノ希望ニ鑑ミテ之ヲ編纂シタルナリ。但シ之が編纂上其ノ価ヲシテ廉ナラシムルコトニ努メタリ。」
その大部分は宮内省の図書寮、それから東大の史料編纂所に主においでになります。しかもこの前、実は一カ月ばかり前に宮内省の図書寮に行ってまいりまして、その裏打ちを見てきたのですが、ちょうどこのくらいの厚さの平安時代の日記なんです。それでぼろぼろになってしまっている。それを裏打ちなさっているのです。
これは、石油化学工業協会の編纂でありますけれども、「石油化学工業の現状」という本、それから化学経済研究所編の「化学製品の実際知識」というものから抜き出してみたのですが、メタノール、これがホルマリンに変わって、ホルマリンは消毒剤に使いますが、このホルマリンがフェノール樹脂に変わって、これが電気のソケット、電話機、食器その他の成形品、それからまたホルマリンがユリア樹脂というものに変わって、接着剤、塗料、
これは明治の初めでございますが、その後明治二十六年の「民法ノ編纂方針」、これを法典調査会で定めまして、そこでも「民法ノ文章用語ハ其意義ノ正確ヲ欠カザル限り通俗平易ヲ旨トスベキコト」ということがございます。またさらに、大正十五年でございますが、若槻内閣の当時の「法令形式ノ改善二関スル件」、内閣訓令というのがあります。
これはどこから出したかといったら、文部省教学局編纂、これは紀平正美さんというのは「マサミ」と読むんだと思うが、この人はとにかく日本のいわゆる何といったらいいか、国家のほうを代表する一つの教育倫理についての代表的な人だ、もう極端なというくらい。