1977-11-01 第82回国会 参議院 社会労働委員会 第4号
○浜本万三君 適切に指導するというお答えなんですが、これに関連をいたしまして、十月二十七日付の文書で総評被爆連の責任者と、それから原爆被爆教師の会の連絡協議会長の連名でもって文部大臣に要請書が出ておるわけです。
○浜本万三君 適切に指導するというお答えなんですが、これに関連をいたしまして、十月二十七日付の文書で総評被爆連の責任者と、それから原爆被爆教師の会の連絡協議会長の連名でもって文部大臣に要請書が出ておるわけです。
文部省の方にちょっと伺うんですが、長崎県の最近の教員の異動の中で、被爆された教師の方を相当多く離島に配置転換をされたということを、先日、二十五日から二十八日までに行われました総評被爆連の上京団の皆さんから伺ったわけですが、そういう事実を承知されておりますか。
昨日、総評被爆連などの代表の方が厚生省に陳情に参りましていろんな要求をいたしました。厚生省からは一定の回答もあったようでございますが、なお、いろいろな問題点につきまして明らかにしていただきたいと思いまして質問を申し上げたいと思う次第でございます。 御承知のように、三十一年前の昭和二十年八月六日、九日に広島、長崎にアメリカの原子爆弾が投下をされまして非常に甚大な被害を与えました。
最後の質問になりますが、これは公衆衛生局長になるかとも思うんですが、ことしの早々だったと思いますが、総評被爆連、それからこの被団協、それから原水禁の方々が厚生政務次官の部屋にお訪ねをいたしましていろいろ懇談をした機会があるんですが、その際その方々が申されるのには、とにかく厚生省の方に現場に出てきていただいてつぶさに苦しい状態、心情を視察してもらいたいと、そして意見も聞いてもらいたいと、こういう声がありまして
時間がありませんから最後に一つだけお伺いしますが、四月の九日、原水禁や総評、被爆連の代表の皆さんが、厚生省で川野辺政務次官と被爆者援護の問題について話し合いをいたしました。そのときに明らかになったのは、被爆者の皆さんと現地に赴いて、いろいろ話を聞いたり、あるいはまた実態を調査したり、そういうことをしたらどうかということに対して、それをお認めになりました。