2019-02-18 第198回国会 衆議院 予算委員会 第9号
○安倍内閣総理大臣 山本議員におかれましては、自民党の行政改革推進本部において以前から政府統計の改善に向けて活動をされている中で、平成二十八年八月の内閣改造において行政改革担当大臣に就任をいただいたわけであります。
○安倍内閣総理大臣 山本議員におかれましては、自民党の行政改革推進本部において以前から政府統計の改善に向けて活動をされている中で、平成二十八年八月の内閣改造において行政改革担当大臣に就任をいただいたわけであります。
○安倍内閣総理大臣 山本大臣からも答弁させていただいておりますが、全省庁についてしっかりと第三者の皆さんが調査をする、徹底的な調査をするわけでございます。また、文部科学省の事案につきましては、中間報告もさせていただくということで答弁をさせていただいておりますが、そうした形でしっかりと対応させていただきたい、このように思っております。
被災直後から、自民党の二階幹事長が被災地を視察していただき、さらに、安倍総理大臣、山本農林水産大臣、石井国土交通大臣、松本防災担当大臣が御視察をいただきました。そして、農地が御専門の議員の先生、また、自民党台風農業災害対策ワーキングチームの先生方、災害特別委員会調査団、さらに、各省庁のトップの方々が次々と被災地の御視察を賜りました。
普通選挙導入の年齢をめぐる議論を一つ御紹介させていただきたいというふうに思うんですが、大正十四年に普通選挙法が成立するわけですが、その前段、大正十二年に、時の総理大臣山本権兵衛が、普通選挙を実現すべく、臨時法制審議会に諮問を行っております。そこで、審議会は、納税要件を全廃するということを決めた上で、選挙権、被選挙権の年齢、性別をどうするかという議論をしております。
○小渕内閣総理大臣 山本委員のお考えも含めてお尋ねがありましたが、国民的な本当の意味での信頼なくしては、金融機関といえども経営ができないわけでございまして、そういった意味でアメリカの例を引かれました。
そして、振り返ってみますと、七十二年前のあの関東大震災、時の内閣総理大臣山本権兵衛、七十一歳であります。村山総理大臣も七十一歳であります。はるかに若々しい。私は、決然としてこの事に当たってほしい。そして、いずれにいたしましても、すべての責任は村山内閣総理大臣にある、すべての責任が。私は、その自覚に立っておられる総理に敬意も表します。
聴濤 弘君 高井 和伸君 寺澤 芳男君 国務大臣 外 務 大 臣 武藤 嘉文君 国 務 大 臣 河野 洋平君 (内閣官房長官) 国 務 大 臣 中山 利生君 (防衛庁長官) 政府委員 内閣参事官 兼内閣総理大臣 山本
国務大臣 (経済企画庁長 船田 元君 官) 国務大臣 (科学技術庁長 中島 衛君 官) 国務大臣 林 大幹君 (環境庁長官) 国務大臣 井上 孝君 (国土庁長官) 出席政府委員 内閣参事官 兼内閣総理大臣 山本
臣 (経済企画庁長 船田 元君 官) 国 務 大 臣 (科学技術庁長 中島 衛君 官) 国 務 大 臣 林 大幹君 (環境庁長官) 国 務 大 臣 井上 孝君 (国土庁長官) 出席政府委員 内閣参事官 兼内閣総理大臣 山本
理事 志賀 一夫君 理事 時崎 雄司君 理事 倉田 栄喜君 小森 龍邦君 新村 勝雄君 長谷百合子君 日野 市朗君 寺前 巖君 出席国務大臣 法 務 大 臣 後藤田正晴君 国 務 大 臣 河野 洋平君 (内閣官房長官) 出席政府委員 内閣参事官 兼内閣総理大臣 山本
寺澤 芳男君 国務大臣 国 務 大 臣 河野 洋平君 (内閣官房長官) 国 務 大 臣 鹿野 道彦君 (総務庁長官) 国 務 大 臣 中山 利生君 ――――― 会計検査院長 中島 隆君 ――――― 政府委員 内閣参事官 兼内閣総理大臣 山本
国 務 大 臣 河野 洋平君 (内閣官房長官) 国 務 大 臣 鹿野 道彦君 (総務庁長官) 国 務 大 臣 中山 利生君 (防衛庁長官) 国 務 大 臣 (科学技術庁長 中島 衛君 官) 出席政府委員 内閣参事官 兼内閣総理大臣 山本
国 務 大 臣 (北海道開発庁 長官) 北 修二君 (沖縄開発庁長 官) 国 務 大 臣 中山 利生君 (防衛庁長官) 国 務 大 臣 (科学技術庁長 中島 衛君 官) 出席政府委員 内閣参事官 兼内閣総理大臣 山本
○三木内閣総理大臣 山本議員にお答えしたのは、結論を出したいということでございますので、これは私のいまの考え方は、定数の問題も全国区の問題もひっくるめて参議院のあり方に関連をする問題ですから、これは至急に検討して、どうするかという結論は、やはり出さなければならぬわけでございますから、そういう期間に結論は出したいというのがいまの私の考え方でございます。
○三木内閣総理大臣 山本さん御承知のように、自民党もこれは参議院と一体でやれというような、最初はそういう意向であったのです。
○佐藤内閣総理大臣 山本君も一歩下がられたから、私も一歩下がって、もっと二歩も三歩も下がったところで、総裁としての立場では、私はとやかくは申しません。したがって、議運のあり方にまかせます。
○佐藤内閣総理大臣 山本君にも申し上げますが、日米安全保障条約、私どもは権利もありますが、同時に義務もあります。やはり国際条約は、忠実にこれを守らなければいけない、かように私は思いますので、ただいま言われますように、それらの点は、親善友好を害するようなことはやりたくはございません。
○佐藤内閣総理大臣 山本君のたいへん率直なお尋ねです。私、国会が一番大事な場所だ、かように考えておりますので、いままでもほんとうのことをいつも申しております。これはもう腹を打ち割ってほんとうのことを国民に聞いてもらいたいと思いますから、この場ではいいかげんなことを申したつもりはございません。もうしばしば申しておりますように、ベトナム紛争はなぜ起こったか。
総理大臣山本権兵衛伯は、組閣直後、皮きゃはんをつけて、東京市内の焦土を三日間も歩いている。また、これは当時の写真です。首相官邸が焼けたので、閣議を戸外に開いておる。こういう深刻なる状態が示されておって、それが八十才に近い老首相にしてかくのごときだったと私は記憶しております。
時の総理大臣山本権兵衛は全く事件の渦中には入っていない。しかし世論の非難と国民の怒りの前に、海軍の大御所である山本権兵衛さんは総理大臣をやめたのみならず、現役を退いたという事実があります。国務大臣という地位は、政治責任を重んずることを生命よりも重しとしなければなりません。単にこれを行政事務とか経理事務として私は追及しようとは思いません。