2004-03-23 第159回国会 衆議院 本会議 第17号
総務長官時代には、また、公害対策担当相として、あの公害国会といわれた昭和四十五年の第六十四回国会を控え、連日深夜まで脂汗を流し心血をそそいで立案作業にあたられました。そして公害対策基本法改正案など関連十四法案は国民の広範な支持を受けて見事成立いたしました。その後、初代環境庁長官に就任され、数々の施策を具体化することによって、先生は、現在の環境先進立国の基礎を築かれたのであります。
総務長官時代には、また、公害対策担当相として、あの公害国会といわれた昭和四十五年の第六十四回国会を控え、連日深夜まで脂汗を流し心血をそそいで立案作業にあたられました。そして公害対策基本法改正案など関連十四法案は国民の広範な支持を受けて見事成立いたしました。その後、初代環境庁長官に就任され、数々の施策を具体化することによって、先生は、現在の環境先進立国の基礎を築かれたのであります。
そしてまた、小野誠治容疑者は、あなたの総務長官時代の秘書官を務め、鹿野道彦議員の秘書をやめた後も、国会通行証である特別通行記章を所持をし、私設秘書扱いで、いわゆる議員会館などに出入りをしていたとされておりますけれども、これは事実なんでしょうか。
私もかつて総務長官時代に鈴木総理のお供をして参ったこともございました。そういう意味で、改めて外務大臣として、政治日程等を勘案しました上で適当な機会に視察をいたしたいと考えております。
また、双方とも実は政府としては、戦後の各種の処理問題は従前塚原総務長官時代に政府・与党その他お話し合いで決着をした後にこういうことが設けられたという経緯もございまして、したがってこれはあくまでも御慰労の趣旨ということで設けられた制度でございましたので、さように取り扱ってきたわけでございます。
○小渕国務大臣 竹内委員御案内のとおりに、戦後未処理問題ということにつきましては、かつて塚原総務長官時代に一応政府としてなすべきことはなしました、こういうことになったわけでございますけれども、その後いろいろ旧陸海軍の看護婦の問題その他出てまいりまして、こうした問題の取り扱いについてはそのときそのときで政府としても対応してきたわけでございますが、その後今お話しの恩欠の問題その他お話がありまして、こうした
後藤田長官が総務長官時代に、参議院の予算委員会で審議会等にありましては、審議会等を構成する個々の委員の意思とは別の合議機関そのものの意思が答申等としまして公の権威を持って表明されますが、懇談会等行政運営上の会合にありましては、合議機関としましての意思が公の権威を持って表明されるものではなく、単なる行政運営上の意見交換、懇談会等の場にとどめるべきものであります。
私の記憶では、たしか総務長官時代お一人で参拝をなされたように記憶しております。私は、公式で団体参拝というものはどのように官房長官お受けとめになり、お考えになっていらっしゃるのか、まず官房長官からそのお考えを聞いておきたいと思うのです。
ところが、山中総務長官時代に、後ほど触れますけれども、実際は恩給法にかかわって満州とか中国方面の行政機関に準ずるというようなところを加えるとかいろいろなことをやってきたし、その後、その問題は本委員会においても続いておる。簡単に戦後処理はすべて終わったという事態にはない。私自身もそういう認識に立っておることを申し上げておきます。
そして、四十五年からは、前回私ここで申し上げましたように、佐藤内閣のときでありますけれども、山中さんが総務長官時代でございますが、福田赳夫さんが大蔵大臣でございましたが、ルールを確立した。財政事情がどうあっても代償機関たる性格の人事院なんだから完全実施をするんだ、実施する月も四月実施なんだということで明確にされて今日に至っている、そういうものですね。
○山中国務大臣 上田議員の質問を受けるのは久々でありますが、それは防衛庁長官として受けていた昔の話でありまして……(上田(哲)委員「総務長官」と呼ぶ)総務長官時代から防衛庁長官、私自身も感無量でございます。しかし、一貫して流れるものは、政治家の哲学、信念というものをその負託を受けた場所に当てはめていけばおのずから道は開けると私は考えておりますので、その時代と信念は変わっておりません。
○中曽根内閣総理大臣 いま山中総務長官時代の文章をお読みいただきまして、われわれも非常に恐縮しておるところでございます。ああいうような精神で政府としても実行していきたいと歴代心がけてきたつもりで、歴代政府もその趣旨に沿って、以降全力を尽くしてきたと思います。しかし、あのころはまだ日本の経済力に余力がありまして、かなり財政的にも余裕がございました。
そういう点では、昭和四十七年の時点で、当時の山中総務長官時代に、先ほど私若干例を述べましたけれども、できるだけそういうものを洗ってみろ、そして取り上げるものはできるだけ取り上げるようにしようということで追加があったわけでありますけれども、私がいま六つばかり言いましたような内容の問題というのは、いままでに採択されたものと同じような性格として十分採択すべき性格を持っておると思っておるのでありますが、こういった
これは先般三原総務長官時代に、調査費をつけて十分対処しますという御意見が団体との交渉の中でもあったわけですけれども、実際ふたをあけてみたらこれに関する調査費はついてなかったということで新任の小渕長官に強く要望し、小渕長官としても調査費の計上には最大の努力をする旨団体代表の前で表明されているわけです。
そういうような不幸な事態が起こったときにすぐどうするのかと、準備ができておらねばどうするのかということでございますが、それは衆参でも申し上げておりましたように、いま法律によってだれがやり、またいつの時期にするかというようなことをいまお決め願って、審議を願っておるわけでございますが、そういう場合にはどうするかというような点につきましては、先般来、いまここにおられます西村総務長官時代に内閣告示というようなことを
その一番の焦点になっておりました、つまりいまお話が出ましたスライドという問題、恩給法二条ノ二、これは山中総務長官時代に出してこられましたが、提案をしてきた政府に解釈がない。調整規定なる二条ノ二とは一体何だ。これは単なる調整規定でございます。こう言うが、その調整規定でございますという中身がない。結果的に審議会をこしらえて、解釈権を含めて審議会に審議をお願いした。
それで次に、話題を変えますが、総務長官においでいただいたのですが、小坂総務長官時代に「物価問題調査会家計部会提言」というのが、四十九年十月二日に出されております。このことについては知っておられますか。
○国務大臣(山中貞則君) 御承知のように、総務長官時代、私は、たとえば一例をあげますと、同和という問題を各省庁がそれぞればらばらに要求したり予算折衝をしたり、ばらばらにおりたりしておりましたものを、統一して計画的にやるようなこともやってみました。しかし、いま例をあげられました青少年の各種施設の問題、あるいは今度は留学生なんかの問題ですね。
いま一つは、もちろんそれだけでは限度がありますから、基地によって、基地をかかえているがゆえにいろんな人的、行財政的に負担をしいられている市町村に対しては、特別交付税という形で——これは、かつて山中長官も総務長官時代は実際そういうお考えもあった。防衛庁長官になったら、いつの間にか基地をふくらますことに一生懸命になっておられる。
元号、国の賓客の扱い、大きな葬儀、こういうような問題をどう処理したらいいかを、すでに十年以上も前から、藤枝総務長官時代から公式問題の調査機関を総理府につくって、調査していただくことになっておる。私からも、何回か、これは十年以上前からお尋ねしておる。ところが、いま、それがどうなっているのか。
総理府総務長官時代、閣内第一の沖繩理解者としてみずから任じていた山中貞則君が、この間の事情を知らないとは言うはずがありません。 そして現在、政府に対して沖繩県民が何を最も強く望んでいるのか。