1973-06-26 第71回国会 衆議院 内閣委員会 第34号
それが昭和二十九年から三十年、ちょうど三木武吉さんが自民党の総務会長時分でありましたか、吉田内閣のときに予算委員会で、自衛のためならば最小限度の軍備を持ってもいいんだという。これは予算委員会でもずいぶん論議されたものです。初めは憲法をつくるときには、自衛であろうと何であろうと持っちゃならぬのだ。
それが昭和二十九年から三十年、ちょうど三木武吉さんが自民党の総務会長時分でありましたか、吉田内閣のときに予算委員会で、自衛のためならば最小限度の軍備を持ってもいいんだという。これは予算委員会でもずいぶん論議されたものです。初めは憲法をつくるときには、自衛であろうと何であろうと持っちゃならぬのだ。
私が総務会長時分に、ことしの三月時分、六役会議等において、組合の分裂を計画するようないろいろな措置を、また相談をしたのじゃないかということが第一のお尋ねであったと思います。総務会長当時、教育の重要な点にかんがみまして、種々教育諸問題あるいは教員組合のあわ方等につきましても、議論をかわしたことはございます。