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7601件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1982-04-14 第96回国会 衆議院 農林水産委員会 第14号

この人の訓練所を私も見学に参りましたけれども、その人は日本歴史に非常に関心が深うございまして、明治維新に非常に関心を持っておりまして、明治百年のあの歴史が今日の日本の大きな原動力になっている、しかも明治維新というのは青年でつくられたということで、私も新生インドをつくるためにいま青年教育に力を入れていますというお話だったのでございます。

田澤吉郎

1982-04-13 第96回国会 衆議院 内閣委員会 第11号

これは毎日新聞の四月一日付の夕刊で大変おもしろい指摘がございましたので、失礼ですが披露させていただくと、「今や鈴木幕府土光臨朝に大政を奉還し、維新の大業はおまかせの感。外には門戸開放を迫る黒船が浮かんでるし。トコトンヤレ、トンヤレのご時世だ。」ここでは恐らく中曽根さんは副将軍という位置になろうと思いますが、こういう指摘があるわけであります。  

岩垂寿喜男

1982-03-30 第96回国会 参議院 外務委員会 第2号

武力だけで、恫喝外交でもって、ソ連とアメリカの軍部がなれ合いでやっているとしか見られないようないまの核兵器の恫喝は、明治維新前における黒船の米、ロシアの恫喝と同じであって、あれがために明治維新のときには神奈川条約下田条約、腰抜けの幕府主体性のない幕府主体性をさらに崩して、尊皇攘夷、開国攘夷入り乱れた中にあっても、高邁な見識を持つ開国派佐久間象山なりあるいは攘夷党の吉田松陰なり、ともに胸襟を開

戸叶武

1981-11-09 第95回国会 参議院 行財政改革に関する特別委員会 第5号

中曽根長官がどこかで披露したそうだが、岸さんの話だといって、明治維新マッカーサーしかやれなかったことをやらねばならぬ、こう言ったそうですがね。そうするとさしずめ明治維新の次はマッカーサーで、マッカーサーの次は中曽根康弘と、こうなるかしりませんけれども、この理由はずばり何だと思いますか、何と何と何がやっぱり障壁だと。

志苫裕

1981-10-27 第95回国会 衆議院 行財政改革に関する特別委員会 第9号

考えてみますと、明治維新より百余年、敗戦後といいましてもすでに四十年近くになる現在、しかも経済力においてはその生産においてすでに世界の最先端を行くに等しい日本の現状を考えますとき、いわば明治維新後の政策が富国強兵、先進国に追いつくことのみを念願とした大正期までの政策、また戦後の復興、再建を最大の念願とし、必死になって事業の近代化と規模の拡大を図ってまいりましたこの戦後の復興、これに伴う必要な行政的措置

藤崎三郎助

1981-10-19 第95回国会 衆議院 行財政改革に関する特別委員会地方行政委員会大蔵委員会文教委員会社会労働委員会農林水産委員会運輸委員会建設委員会連合審査会 第1号

そこで、総理大臣にお尋ねをいたしたいと思いますが、道州制をもし施行して県を廃止するということになってきますと、廃藩置県が行われた明治維新以降、これは非常に大きな改革になると思います。総理は、道州制についてどのような見解を持っておられますか。

青山丘

1981-10-09 第95回国会 衆議院 行財政改革に関する特別委員会 第3号

「私は担当大臣を拝命したとき、官庁および政界の大先輩である岸元総理に知恵を拝借しようと思ってお訪ねしたところ「そりゃ中曽根君、日本行革をやったのは明治維新マッカーサーだけだよ。平時にやろうと思ったらクーデター以外できないね。それぐらい難しいものだから、そのつもりでしっかりやれ」と励まされましたが、まさにそういう性格があります。」こう言うておられるのですね。

正森成二

1981-05-27 第94回国会 衆議院 法務委員会外務委員会社会労働委員会連合審査会 第1号

高沢委員 いま大臣日本民族のそういう単一民族としての歴史にも触れてお話しになりましたが、振り返って考えてみますと、たとえば明治維新それで日本が新しい近代国家になった、そのころの明治政府ですね、ずいぶん外国の学者あるいは外国技術者、そういう人たち日本へ招請してその知識を吸収する、あるいはまた、日本から外国へずいぶん積極的に留学生を送って、そして外国のいろいろな経験、知識を吸収して、それで日本

高沢寅男

1981-04-17 第94回国会 衆議院 文教委員会 第10号

単に大学建物がよくなった、教員の給与がよくなった、それだけでは大学質的向上にはならないのでして、それならば、まさに徳川から明治維新に移る松下村塾における松陰先生の教えのように、昔は建物も惨めであったかもしれない、あるいは貧しかったかもしれない、教える子供は一人対多数であったかもしれない、だけれども、その時代を先駆するようなきわめて意欲的な教育がなし得たわけであります。

三浦隆

1981-04-07 第94回国会 参議院 文教委員会 第5号

同時に、いま大学局長が申したように、一方においては、なぜ一体有名校に非常な競争を押し切っていきたいかといいますと、結局そこを卒業した後の生涯、人生において非常に優位に立つ、あるいはまた指導的な立場を持つ、これなんかというのは、まさに明治維新後の東京帝国大学というものを出たらばその人の生涯が約束づけられるといったような時代と、今日のような社会環境とは非常に違いまして、大学なども本当にあり余るほどのたくさんのりっぱな

田中龍夫

1981-04-01 第94回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第4号

まあ日本明治維新のようなことでしょうから、さまざまな試行錯誤はあると思います。しかし、その中で、日本外交の一番大事なことで欠落しているものは、それぞれの国の民衆の中に溶け込んでいくつき合いと、それからそれを吸い上げてくる情報源がどうも外務省というのは欠落しているのじゃないか。私も昨年春に一人でずっと歩きました。一人で歩くといろいろな話が入ってきます。

丸谷金保

1981-03-13 第94回国会 参議院 予算委員会 第8号

長谷川信君 次に、文部大臣にちょっとお尋ねいたしますが、この前も教科書問題いろいろ、かなりいろんな激論——激論というか議論があったわけでございますが、日本教育明治維新にちょんまげを切って刀を抜いて何をやろうかと思ったら、当時の政治家教育をやったんですよ。そして山のてっぺんから谷底まで小学校、もう予算もないし何にもない日本の国が本当に津々浦々まで小学校をつくった。

長谷川信