1971-09-25 第66回国会 参議院 内閣委員会 閉会後第3号
これだけの平和憲法のもとで、国会が最高機関として権限を持ち、継続費自体も単年度予算の中の継続費として御審議を願うのでありますから、私は、いわゆる軍事費の巨大な膨張の方向というのはこれとはちょっと性格が違うんではないか、こういう考え方を持っておるのでございます。
これだけの平和憲法のもとで、国会が最高機関として権限を持ち、継続費自体も単年度予算の中の継続費として御審議を願うのでありますから、私は、いわゆる軍事費の巨大な膨張の方向というのはこれとはちょっと性格が違うんではないか、こういう考え方を持っておるのでございます。
勿論継続費自体を否定しておるのではありませんが、予算として継続費を設けることについては、これを否定しておると考えておるものであります。
私は継続費自体をこれを否定するというのは、これは情勢上安当じやないと思う。やはり継続費というものはだんだんむしろこれからますます多く必要になつて来ると思う、長期建設すれば。それを予算として、予算制度として認めるということに問題がある。予算制度として認めなくても、継続費を支出する方法はあるわけです。予算の年次制というものを置きつつ、これを認めることはできるのであります。そこを私は問題にしておる。
継続費自体を菊川君は否定して質問しておるのじやないと思うのです。勿論、継続費は、産業が発達し、経済も発展して、それで長期的な財政投資が必要になつて来るのですから、継続費自体を否定するということは野暮ですし、又近代的な経済を解しないと思うのです。菊川君の質問はそうじやなく、予算として継続費を認めることは憲法違反ではないか。
○木村禧八郎君 僕は継続費自体は反対しておるわけじやない。それは社会党展の過程で企業会計的になつておるのだから、その継続費自体を否定しておるのじやないが、それと審議権との調査を問題にしておるわけであります。
○木村禧八郎君 それは継続費自体が予算制度を認めていないのじやないのです。否定しているのじやないと思う。問題は継続費が予算支出として出て来るとこれは国会の予算審議のあれが一応制約されるのです。国会の意思が一応制約されることになるのです、どうしたつて。そこで問題は、これは飽くまでも相対的なものなんです。
それをいろいろの事情から三千万円にいたしますときには、その予算のうちに継続費の部分を、年割額の五千万円を三千万円に改訂するということを明らかにした継続費自体の改訂案というものがここで以て提案されるわけであります。