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23件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

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1966-05-13 第51回国会 参議院 農林水産委員会 第25号

そこで、この種の会合がどういうことになっておるかというのを調べてみますと、国際絹業大会は現に地中海において開会されておるのであります。また近く、国際養蚕会議が開かれるやに聞いております。この二つの機関は次回の開催地を、理事国会議はいつ、総会はいつというようなことが取りきめられるであろうと思うのですが、何かインドの国内事情等によって、日本におはちが回ってきているということも聞いているわけです。

八木一郎

1965-03-11 第48回国会 衆議院 農林水産委員会 第13号

栗原委員 昨年の国会では、先ほど同僚東海林委員からもお話がありましたとおり、日本輸出が伸び悩んでおるのは、価格が不安定だからだ、価格が安定すれば五%ぐらいは伸びるだろうと、世界絹業大会でも大体方向が見出された、こういうような話であったわけでありますが、それではなぜ伸び悩んだのか。日本生糸が悪いのか。もう日本生糸は要らなくなったのか。

栗原俊夫

1959-12-15 第33回国会 衆議院 農林水産委員会 第14号

先般田邊委員からお話がございましたが、ことしの五月のミュンヘン絹業大会のおりにも、世界各国需要者は十四万・十八万という安定帯今生糸年度一年間は続けられるのだということに深い信頼と期待とを持っていろいろな取引を進めていくということであったわけです。そうした価格安定制度信頼を裏切らないということが一番大切である。

大澤融

1959-12-09 第33回国会 衆議院 農林水産委員会 第12号

従いまして、私は出席をいたしませんでしたが、昨年ミュンヘンにおきまして世界絹業大会がございましたが、いろいろの日本代表の方が行きましても、やはり政府最高価格を事実上十八万としておる、こういう説明をいたしまして、先方と申しますか会議出席者も納得をいたしておるわけでございます。かような意味におきまして、私は、なるべくこの十八万という約束を守るべきである、かように考えております。  

安田義一

1959-12-09 第33回国会 衆議院 農林水産委員会 第12号

これは肥田さんの部門になりますけれども外国におきましても日本生糸が安定さえすれば幾らでも買うということは、世界絹業大会出席されました日本代表が帰ってくればいつもそれを言っておるのでありまして私どもが第一回の絹業大会出席しましたときも、やはりそういう意見各国の商社に強かったのであります。それを思い、これを思い、どうか一つ安定させてもらいたいということが念願であります。

海沼栄祐

1959-12-09 第33回国会 衆議院 農林水産委員会 第12号

中澤委員 滝澤清見さんに一言聞きますが、去年あなたは日本代表として世界絹業大会に行って、いろいろ絹の情報を各国を回って調べてきたわけですが、あなたが去年欧州市場を回ってきた感じとしては、これが二十万という価格に上がれば、織物でも輸出が全部とまってしまうという感じを受けているでしょうか。それとも、政府施策いかんによればもっと輸出はふえると見てきたでしょうか。

中澤茂一

1959-12-08 第33回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号

それは、なぜかと申しますと、先ほど私もちょっと申しましたように、現地に行ってみまして特にその感を深くしたわけでございますが、要点だけを一つ申し上げると、私ども絹業大会へ行って、議論の対象になったのは、さき繭糸価格安定法、その次に問題になったは生糸規格の問題でございます。今の日本生糸規格制度というものは、これはどうしても根本的に変えていただかなくちゃならぬと思います。

田邉國男

1959-12-08 第33回国会 衆議院 農林水産委員会 第11号

田邉委員 今の局長お話だと、徐々に改正をなさるというのですが、これはもう世界絹業大会で約三回にわたって日本に要望しておる事項でございますので、よく一つ欧米の実情をつかんでいただいて、そうして、できるだけ早く改正していくように。結論は、やはり、規格生糸輸出する、たとえば鐘紡の何々銘柄のものを出す、そういう形に将来なるべきだと私は思う。

田邉國男

1959-06-30 第32回国会 衆議院 本会議 第5号

また、君は、昨年来、蚕糸業振興審議会委員として活躍し、さきには、二十八年九月、イタリアミラノにおいて開催された国際絹業大会日本代表として出席し、帰途、欧米各国を歴訪して、生糸輸出市場の開拓に大いに努められたのであります。  思うに、君は、まことに君子人と呼ぶにふさわしく、その人格は至って清廉高潔、その性格はきわめて温厚篤実で、いやしくも自己を誇るがごときことは決してなかったのであります。

茜ケ久保重光

1958-10-31 第30回国会 衆議院 予算委員会 第4号

しからば海外需要は伸びないかといえば、絹業大会での話、あるいは議員諸公海外を回ってきた話、どの話を聞いても、伸びるのです。それについてはいずれ時間をかけて農林委員会一つ十分論議をしたいと思うのであります。本日はそういう事情があるそうでございますから、簡単に大綱だけお尋ねいたしておきますが、大体生糸輸出振興対策としては、一体どの程度通産省としてお考えになっておるかということでございます。

中澤茂一

1958-07-01 第29回国会 参議院 商工委員会 第5号

最も先般これは聞いた話しでございますが、アメリカ国際絹業大会に御出席になって、アメリカ生糸輸入業者が、生糸アメリカでどんどん買うのだから、織物輸入はやめたらどうだというような問題が出たように聞いております。これに、悲しいことに、生糸取扱い業者が賛成をせられて非常な問題になっております。

滝波清

1954-07-28 第19回国会 参議院 農林委員会 閉会後第4号

委員長(森八三一君) 今私の申上げましたのは、繭糸価格安定法という法律が成立をみたというその精神は、振出貿易を振興する、その輸出貿易を振興するために、国際的な絹業大会等においても価格の安定がなければならんという要請があつたから、それに応えるために国内法としてこういう法律作つたのだ、といたしますれば、その生産の九〇%、時によつてはそれ以上、殆んど全量が輸出に振向けられておるというこの糸については、

森八三一

1954-04-06 第19回国会 衆議院 通商産業委員会 第31号

昨年の秋のミラノにおけるところの国際絹業大会では、生糸、絹の価格をもう少し安くすれば、現在の需要が四倍、五倍、あるいは六、七倍まで伸びることは容易であるというのが各国出席関係業者の異口同音の声であつたのであります。この価格を下げるためには、その根本であるところの桑の反収を上げて増産をはからねばならない。ミラノ会議より帰つたども日本代表はあらゆる機会に増産必要性を説いて来たのであります。

笹本一雄

1954-04-06 第19回国会 衆議院 通商産業委員会 第31号

それから第四点は、世界の八二%の絹の生産を持つているのは日本ではないか、それにもかかわらず欧州各国云云とお答えしたり、あるいはミラノ世界絹業大会において一回も発言をしなかつたじやないかという点、これも先ほどの問題と同じでございまして、あるいは認識の深さあるいは努力の程度に足らざるところがあつたと思いまするので、今後十分気をつけて参りたいと存じます。  

愛知揆一

1954-03-26 第19回国会 参議院 本会議 第23号

をしておりまして大統領がこの引上げ要請を却下いたしたのでありますが、これらの交渉を通じまして米国側輸入業者を初め、米国当局可燃性織物法のことには全く触れておらず、又本法議会通過後にも、これは実際に絹織物には適用されないのではないかという考えもありまして又その発端が特に化繊織物でありましたために、日米両国間の業者本法の影響を余り憂慮しなかつたのでありまして、又昨年九月ミラノで開かれました世界絹業大会

岡崎勝男

1954-03-24 第19回国会 参議院 予算委員会第一分科会 第1号

而も非常に重大なる直接関係を持つている日本業者も静かにしておつたというような事情もありまするし、昨年九月絹業大会をヨーロッパでやりましたときにもこれは殆んど問題にされなかつたというような事情もありまするので、あれだけ人手が足りなくて働いております商務関係の職員に対しましては一応御同情を賜わりたいと存じます。

小滝彬

1954-03-23 第19回国会 参議院 通商産業委員会 第22号

繊維局長が言われましたように昨年の九月ミラノ絹業大会もあつたのでありまして、この問題が事前にわかつておればこういうところででも相当論議もあり、日本側の希望もそこで表明できたと思うのであります。又この前の国会のときでありましたか、軽目物輸出価格の問題について我々も請願も出しておりまして、この委員会で相当あの問題について論議があつたのであります。

石原幹市郎

1953-12-11 第19回国会 衆議院 農林委員会 第2号

そこで、今復興の段階に参りましたわが日本蚕糸業が、世界の情勢の消費部面から対照いたしまして、ことにあなたは先ごろミラノ国際絹業大会出席せられたから、それらを勘案して、わが日本蚕糸業をどういうふうにするかというような対策、方針について、この際、実はこれは、保利君に伺いたいのですが、蚕糸局長としての責任者のあなたから、当該責任者として一応伺いたいと思います。

佐藤洋之助

1951-11-17 第12回国会 衆議院 農林委員会 第12号

また国際絹業大会におきましても、この会議に関連した諸般の会合が一九四八年にはスイスに、またフランスに一九四九にはイタリアに、また一九五〇年にはアメリカに、本一九五一年にはイギリスでと、国際的な世論は年ごともに高まりまして、昨年ニューヨークで開かれた第二回国際絹業会議では、公式に日本糸価安定制度を実施すべきだという決議が行われ、一方国内では全国農民大衆請願決議運動が活発になりまして、オール蚕糸界

八木一郎

1951-11-06 第12回国会 参議院 通商産業委員会 第7号

説明員記内角一君) 糸価の安定、殊に生糸の安定の問題は過般ロンドンで開かれました世界絹業大会の際にも強く要望せられたところでありまして、やはり糸価の安定ということが直ちに又絹織物絹製品の安定ということになるわけでございます。従いまして我々といたしましても、生糸の安定ということにつきましては非常に切望しているところなんであります。

記内角一

1951-10-25 第12回国会 衆議院 農林委員会 第4号

この間ロンドンで開かれた世界絹業大会で、消費者外国人たちが、日本中心値段まで向うできめておる。三ドル八十セントという値段をきめております。その値幅等も言つておる。こういうふうな現実の問題、これは売手買手のことで、買手は安くするのはあたりまえ、売手は高くする。こんなものにわれわれは拘束される必要はないと思いますが、現実の問題として起つておる。

小林運美

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