しかし、天皇大権で、行政大権、統帥大権と四大大権、これは、せいぜいあり得る議論は、天皇が持つのか、枢密院だとか軍だとか各国家機関がそれぞれ個別に持つのか、そうじゃなくて、内閣がそれを全部握るのかという議論だけなんです。 国家権力の諸権力の中でだれが一番偉いのかという、美濃部さんの解釈でいえば内閣が一番偉い。なぜならば、天皇が国家の元首であって、それを輔弼する責任は内閣だから。
しかし、総理大臣の統制権が実は弱かったというところから、軍部に、陸海軍大臣の現役武官制や統帥大権などを理由に政治介入を許してしまったという点も見落としてはならないとは思います。 さて、天皇と内閣との関係については、その通常の状態は、昭和天皇が大東亜戦争、太平洋戦争の開戦の手続と終戦の手続の相違を説明したものの中に的確にあらわれております。
彼は、天皇に統帥大権や非常大権、文武官任命大権など、さまざまな権限を集中的に持たせて、憲法によって「万世一系ノ天皇之ヲ統治ス」と定めると同時に、「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」と定めて、天皇と天皇大権を、憲法を定めることによって、憲法に拘束されない憲法上の地位として憲法に規定したのであります。 この憲法の制定が後に天皇制軍国主義国家、大日本帝国をつくり上げていったのであります。
○政府委員(味村治君) 過去の、旧憲法当時の統帥大権は、先ほど御説明申し上げましたように、内閣と別個の補佐機関を持っていたわけでございます。参謀本部とか軍令部というような内閣と別個の補佐機関を持っておりました。
この「天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス」というのは、旧憲法の慣行といたしましてこれを統帥大権と言っていたわけでございますが、統帥大権について天皇を輔弼するのは国務大臣の職務には属しないで軍令部なり参謀本部なりの輔弼に属しておったということでございます。これは明文の規定はなかったわけでございますが、憲法制定前より実際の慣習と官制の定めとにより確定した制度だと、こういうふうに解釈されていたわけでございます。
まして防衛は国の政治の最も重要な機能の一つでありまして、戦前のように統帥大権の陰に隠れた軍事の暴走はわが国を破滅に追いやった、この教訓を生かす道はシビリアンコントロールの確立以外にはないと考えます。
統治権の総攪者として、統帥大権も、皇室大権も、また行政権においても結局は天皇の官吏として行政権は天皇に帰一していたわけなんです。もし、かりにあの大東亜戦争のような場合に、天皇が自分の良心と信念に基いて軍部の行き過ぎを抑える、こういう一つの勇気と、そしてまた天皇の権威に伴うところの断というものが下されていたならば、日本の歴史というものももう少し変ったものに動いたかもしれない。
○左藤義詮君 私がお尋ねしているのは、研究中である、熱心に研究していらつしやる、その御研究から全く長官が浮いてしまつて、別のところにあつて、研究と連絡なしに話を進めておられるということに対して、長官を補佐すべき増原次長以下、長官がやつているのだからいいだろう……、若し長官がきめて来たら、これは昔の統帥大権みたいに、上から来れば仕方がないというようなお考えであるかどうか。
これは天皇は統帥大権を持つておるというところから来ておるかとも思いますが、そういう意味では同じ部隊の統率権ではございますけれども、旧憲法時代の統帥権的なものは今日の憲法においては許され得ないと考えております。
これは旧明治憲法において天皇が有せられたる統帥大権とも匹敵するものであります。さらに現行憲法上総理大臣は内閣を代表し、全閣僚の罷免権を通じて行政各部を支配し、その上憲法第七条により解散権をもつて国会に臨み、さらに法務大臣を通じて検察庁に対する指揮権を左右し、現にこれの悪用専断が今や世の指弾を受けている次第であります。
それではこの最高の指揮監督権というのは、昔の旧憲法の三十何条でしたかちよつと記憶しておりませんが、旧憲法の天皇の持つ統帥大権に該当するように思うのですが、違いますか。