2021-04-26 第204回国会 参議院 決算委員会 第5号
要すれば、規模の経済をやるということ、データに基づいた経済作物こそやれということであろうと思いますが、我が国の農業、これの九割を占めているのが小規模な家族経営体であります。そういったところに成長の恩恵がどのように行き渡るのか、私にはこの姿が見えないのであります。
要すれば、規模の経済をやるということ、データに基づいた経済作物こそやれということであろうと思いますが、我が国の農業、これの九割を占めているのが小規模な家族経営体であります。そういったところに成長の恩恵がどのように行き渡るのか、私にはこの姿が見えないのであります。
農業生産の三割から四割、葉たばこでもっているという意味で、やはりそういう地域における特産、経済作物となっている地域が結構あるわけでございます。 そういう中で、やはり仮にこうした葉たばこ生産が成り立たなくなった場合のその地域経済に与える影響というのは、なかなかこれはばかにならぬと思うわけです。
だから今、地域におけるいわば葉たばこの位置づけ、例えば地域経済に与えている経済作物、特産作物だと言ったのもそういうことですし、また、恐らくはこの間のヒアリングの中で、耕作者組合からもこの改正案に対してさまざまな意見は、時間がありませんから繰り返しませんが、あるわけでございまして、そういう意味で、完全民営化というものについて一歩踏み出す議論をする前段階において、国内産の葉たばこ問題について、引き続き安定
その場合に畜産は、これは農産物全般がそうでございますけれども、経済作物である、同時に経済作物以外の機能というものをやはり持っております。それは国策としての食糧の温存と申しますか、そういった非常事態における国民のカロリー供給という役割りも持っております。そういった点を加えて、ひとつ諸制度につきましては見直しをぜひお願い申し上げたいというふうに思います。
特に、いまバレイショの問題を取り上げてみますと、もともとこれは経済作物というよりも、寒冷地畑作地帯振興法というのがありまして、これの一つとしての要するに寒冷地畑作振興という柱からバレイショというものを見ていかなきゃならないんです。それがいつの間にかこういうものが、いわゆる単なる経済作物という立場だけででん粉原料にしたらどうだ、加工原料にしたらどうだというところに実はずれてきている。
麦は経済作物として一人前の地位を保っていないというのが偽らざる実情であることも御承知のとおりであります。 たとえば、土地生産性を示す目標、十アール当たりの所得を見ましても、五十一年生産で比較しますと、水稲が八万二千五百八十九円であったのに対しまして、契約生産奨励金と麦生産振興奨励補助金を含め、小麦の平均が二万三千三百一円、すなわち約三分の一であります。
これはもう経済作物でありますから、どうしても政府に買ってもらいたい、こういうことになってくる。そうすると、いまの農業倉庫で十分これを賄えるか、こういう問題が一つあります。
そこで、瀬野委員も御存じでありましょうが、経済作物でありますから、私どもはそれだけに固執するというつもりは全くないのですけれども、御参考に申し上、げておきたいと思いますのは、いま大体国際糖価がトン当たり百六十ポンドぐらいになったといたしましたときに、国内の砂糖というのは同じだったらどのくらいで買えるんだろうということを計算してみますと、実は国際糖価百六十ポンドに匹敵する国内のサトウキビ価格というのは
畑作は主要な経済作物の耕作がどんどん放棄される。午前中も松元局長は、生産者の選択性によって飼料作物かふえてけっこうとも言わなかったかもしらぬが、それは生産者の選択の任意の帰結であるというような、まことに傍観者的な発言があったが、そういうことでは日本の畑作農業というものは壊滅すると思うんですよ。
○美濃委員 大体概要の状態を押えておりますが、過去の冷災害等によって、日本の農政の中では牧草というものを経済作物としての位置づけをしていない、その関係から絶えず収穫災害が起きております。雨害によってこの被害額というものはかなり大きいわけです。
しかも北は北海道、南は九州等、水田を大幅に転換するような場合において、どうして一番経済作物と言われるバレイショあるいは甘無糖を対象にしないのか、この点はわれわれとして理解に苦しむところなわけです。総体的に見て自由化が進行している国についてはこれに追随するというようなことが特徴的になっておるわけですが、それではだめだと思うのですよ。
ですから、自分の経営の範囲内において飼育する乳牛等に対して、自分の耕作地において飼料作物を栽培する場合は、コストが高い安いは別として、それはその販売に向けるわけではないが、しかし積極的に考えた場合は、飼料作物というものは農業経営の中で経済作物として生産される状態にならなければ、国内における飼料の自給度を上げるということは、これは絶対できないと思うのですよ。
これは二、三もう崩壊しようとする農産物もあるわけですが、需要が減退したのかというと、その用途の需要は減退しないのにかかわらず、もう農民が経済作物として取り入れて生産することができないという作物が、最近だいぶ出てきておるでしよう。そうなってきますと、これはもう農地法を改正してそこの限界を明確にしなければならぬ。その明快性は金融法でもいかぬし、何か農地法に根拠を持たすべきではないかと私は思うのです。
おそらくこのような収量の上がる畑の場合においては、バレイショを栽培すれば五十俵を上回る十アール当たりの反収があるわけでありますから、そういうものと比較した場合において、同じ経済作物をつくった場合、バレイショの場合には、一俵五百円にすれば五十俵で二万五千円、自給飼料であるデントコーンを栽培した場合の農林省の価格算定は六千五百円ですから、ちょうど四分の一にしか認められていないということにこれはなるわけであります
一方において政府の施策として、国内における自給飼料の増産計画を立てておるが、せっかく飼料を増産しても、その価値というものは、一般の経済作物の五分の一くらいで評価されるということになれば、進んで自給飼料の生産をやるということは放棄されるということになるわけであります。
アメリカにしても、ヨーロッパの農業国においても日本のように外国からえさを買うということを避けて、できるだけ自給度を高めるためにどういうことをやっているかというと、同じ畑に有利な経済作物を栽培した場合と、不利な飼料作物を栽培した場合の十アール当たりの販売価格上の差額というものを計算して、十アール当たり飼料作物のほうが反当一万円不利益であるとか、そういうことになれば、その一万円の格差というものを政府が飼料増産
そういうのは、いま踏み切った、踏み切ったと言いますが、いわゆる企業は、フジ精糖はやはりビート工場を建てたくて申請したのでありますから、失敗してもその企業はいいだろうけれども、実際政策的に見た場合、てん菜という作物を東北に入れて、そうして経済作物として農民につくらしているのに、てん菜の収量の中から砂糖をつくるという工程の指導も行なわれていない、私ども考えるのに。
そうすると、なかなか二トンや二トン半の生産量では、ほとんど経済作物として成り立たぬ。
もう一つは、経済作物としてビートの作付というものが農民に対して増産意欲を刺激しておらない、これはやはり価格の問題にあると思うわけでございます。ですから、経営面については今後機械化を導入するようなことも一つの方途でありますが、価格面を通じて農家所得を向上させるということの一番の早道はやはり原料価格を適正なものにするということは言うまでもないわけであります。
少なくともトン当たりの原料価格を六千円以上七千円程度にしてもらわなければ、将来経済作物として積極的に耕作する気持にはなれない、そういう素朴な意見等もわれわれは聞いてきているわけです。
りを行わねばならないしいうのがイモ作り農民の実態でありまして、そういたしますと、ことしはイモでこりた、イモでこりごりした、イモ作りをやっておったんではとても飯が食えない、では来年は落花生に逃げようということで農家の皆さんが単純に逃げられる、ところが、どっこい、落花生の方は農産物価格安定法の適用がないから、これはこてんとやられる、もう泣きつらにハチということに相なるということでありますので、一個の経済作物
また、地帯的に言っても、これがいわゆる山麓地帯にも、土質が悪ければ悪いなりにある程度成果の上る作物でありますから、相当バレイショ澱粉については農家としても重要な経済作物としてやっておるわけなんです。
それから開拓地の問題は今お話がありましたが、開拓地というものは少くとも三年くらいはビートを作ってもこれは絶対に経済作物としては成り立たないというくらいのものであろう。