1997-05-16 第140回国会 衆議院 文教委員会 第12号
ただ問題は、私は経済学では経済人類学という近代経済学やマルクス経済学をともに批判している分野の立場をとっておりますが、私がたまたまノーベル賞を一回とると、翌年もとらなければいけない、つまり仲間をつくっていないですからね、というようなことになる。
ただ問題は、私は経済学では経済人類学という近代経済学やマルクス経済学をともに批判している分野の立場をとっておりますが、私がたまたまノーベル賞を一回とると、翌年もとらなければいけない、つまり仲間をつくっていないですからね、というようなことになる。
それで最後に、それは自分の立場がありますから、今までのは全部間違っていましたがという話をそれは少しはしたかもしれませんが、しかし、こういう立場があります、それも経済人類学だけでなく、アメリカのやや近いと言われている制度学派とか、あるいはマックス・ウェーバーの経済社会学、そういったものを入れてある。
私の大学におきます専門は経済人類学、経済とついておりますが、最後は人類学でございます。経済学の方にも提案がございまして、有斐閣の経済学辞典等には経済人類学の項を私が執筆をしているという形になります。
なお、途中で経済人類学などという私の分野のことを申し上げました。これはとても展開できませんでしたが、有斐閣から「経済人類学を学ぶ」という学術教科書も出ておりますので、お暇な折には見ていただきたい。 それから、要するにポイントは消費なのだとずっと前から言ってきております。生産の型じゃないのだ。
例えば東ヨーロッパ、これは私の学問の経済人類学という学問で出てきたところでございますけれども、ルーマニアという国がございます。ルーマニアの西部は英語ではトランシルバニアと呼ばれまして、この地域はどういうことで我々の歴史にとって有名といいますか認識されているかといいますと、サラセン帝国が西ヨーロッパに侵入していくときに、この地域を大体主戦場としてハンガリー人及びオーストリア人と戦いました。