1951-05-22 第10回国会 参議院 建設委員会 第18号
当然建設行政の一元化という意味ばかりではなく、多年の経験も持ち、技術も持つておるところの大蔵省営繕管財局の流れを組むところに国費の支弁に基く建造物の統一をやらせることが妥当であると、こう考えておりましたのでありますが、御承知の通り終戰後戰災復興院ができまして、現在の建設省になりますときに、当時の大蔵省営繕管財局の官制と同じような条文が規定されております。
当然建設行政の一元化という意味ばかりではなく、多年の経験も持ち、技術も持つておるところの大蔵省営繕管財局の流れを組むところに国費の支弁に基く建造物の統一をやらせることが妥当であると、こう考えておりましたのでありますが、御承知の通り終戰後戰災復興院ができまして、現在の建設省になりますときに、当時の大蔵省営繕管財局の官制と同じような条文が規定されております。
御承知の通りに、終戰後戰災復興の基本方針を定めまして、全国百十五都市に対しまして、戰災復興の向うところを、一応当時幣原内閣でありましたが指示をいたしたのであります。ところがその後におきまする復興の状況が、遅々として進まざるものがあつたのでありますが、その大きな原因は、現下の国家の情勢、特に国家並びに地方財政の窮迫といつたような点が、最も大きな原因であつたのでございます。