1952-05-19 第13回国会 衆議院 予算委員会 第27号
明治時代に一、二件と、経済違反で昭和十五、六年に数十件くらい出ておつて、終戰後急に方針をかえてぴしやつとやつた。国家に非常に不利を与えたかと申しますと、税金並びにその加算税等は、みなとつております。ただ体刑の問題について大赦ということを考えるということで了承いたしております。
明治時代に一、二件と、経済違反で昭和十五、六年に数十件くらい出ておつて、終戰後急に方針をかえてぴしやつとやつた。国家に非常に不利を与えたかと申しますと、税金並びにその加算税等は、みなとつております。ただ体刑の問題について大赦ということを考えるということで了承いたしております。
○國務大臣(天野貞祐君) 私はやはり今度終戰後急にそういう新らしいことをいろいろ取入れたということのためにいろいろそういつた実際に適しないことが起つて来ておると思うのです。それはそういうふうに指導要領ばかりでなく万般について今高田さんの言われたようなことが起つて来ていると思うのです。それだから私は先ほどから申しておりますように、それが今までのやり方の一つの否定なんです。
從いまして會計の内部において各勘定間に現金の繰替使用がなされておつたのでありますが、昭和二十年度は終戰後急轉した特殊の經濟事情から、事業上未曾有の經營難に當面いたしまして、年度途中において資本勘定に繰替使用せられておりました資金を繰戻すことができず、決算上、業務勘定の過剩額に相當する現金の保有がなかつたために、會計手續上、勅令通りの處理をなし得なかつたのでありまして、この點は誠に遺憾に存じております
本請願の更旨は、鹿兒島縣姶良郡隼人町は飛行場設置による地方減退と、終戰後急に入口が増加したのとで、食糧の需給は困難の度を増し、町政上に幾多の難問題を生じつつある、ついては飛行場跡の復旧と、本町東南部の遠浅地区一帶の干拓事業とを施行されたいというのである。
我が國中小工業の問題は終戰後急にクローズ・アツプいたされまして、今や官民共に重大なる関心を持つに至つたのであります。殊に大規模な工場は、戰災や賠償の指定に遭いまして、更に終戰後財閥は解体いたされまして、独占禁止法であるとか、或いは過度の経済力集中排除法の施行等、経済の民主化によりまして、今日、中小工業の國家の経済の上に持つておりますところの使命、責任というものは、なか尊重大なのであります。