1952-06-26 第13回国会 衆議院 本会議 第61号
これが日本農民の誇りでありこれあるがゆえに、今日終戰後六箇年にわたる食糧危機に際し、日本国民の食糧が確保せられて参つたものと信ずるのであります。
これが日本農民の誇りでありこれあるがゆえに、今日終戰後六箇年にわたる食糧危機に際し、日本国民の食糧が確保せられて参つたものと信ずるのであります。
さきにポツダム勅令の第六〇八号によりまして、当然受給権のあつた軍人等の恩給並びに扶助料が停止せられて、過去の戰争により国に殉じた者に対し、何ら国が報いることを得なかつたことは、まことに遺憾のきわみでありますが、先般平和條約が締結せられ、近くその発効を見、わが国も独立国家として自立すべきときに際し、本法案の提案を見ましたことは、終戰後六年余待望しておつた遺家族傷病者等の熱心なる望みにこたえる意味からも
いま一点は、先般も申上げましたことでありますが、いわゆる終戰後六年間の間に幾多の総司令部のいわゆる覚書が出ておるのです。
長い目で見ますと、私は終戰後六年間を通じまして、今の状態がいい方の状態である、こう考えております。物価が五割上つたとか申されましても、消費者物価指数もお考えにならなければなりませんし、賃金の上つたことと、片方で税金の下つたことをお考え願わなければならぬのであります。そうやつてみますと、国民生活水準は私は徐々に安定向上に向いつつある、こう言えると思います。
終戰後六年の今日までこれをこのままに放置して一向手をつけなかつた、改正しなかつたという理由はどこにあるか。また現在かような不適当な法律ではありますが施行されております以上、これを運用面で適当に調節して来られたのではないかと思うのでありますが、これが一体どのように運用されておりましたか、この点から質問に入りたいと思います。
あるいはこの間新聞で、何でも終戰後六万八千件とかいうことであつた。新聞ではこれを評して何と言つているか、これは九牛の一毛であり、氷山の一角である。もはやあなた方もその氷山の一角の方へ入つておるのではないか。実にどうも驚くべき問題である。これはあなた方よく反省してお答えなさい。もしもそれで妥当だつたというならば、あなたは無能であるということを私は断言してはばからぬ。
講和條約発効を前にして、終戰後六年有余、国民といたしまして感慨深いものがあると共に、将来日本のあり方を考えて不安の念にかられております。国会冒頭の吉田総理の施政演説にいたしましても、講和條約発効後に現内閣がとろうとする施策の方向は幾分国民の前に明らかにされたが、なお個個の具体的な問題につきましては明白を欠くものが少くはないのであります。総理は任期一ぱい政局を担当すると言明されました。
終戰後六年、我が国民が待望しておりましたところの平和條約は、近く列国の批准を終えて、その効力を発生し、我が国は新生国家として国際間に復帰せんとするに至りまして、国民の将来に明るい希望がもたらされたことは、誠に欣快至極に存ずる次第であります。併しながら敗戰による我が国力の減退は、一朝一夕に癒えるものではございません。
ところが終戰後六年、敗戰のためにあらゆる苦難の底に置かれたとは申しながら、日本がこれらの国々とは反対に、みずからを帝国主義的な支配下に隷属せしめようとしておるのであります。(「そうだ」と呼ぶ者あり)我我は我々の子孫に対して何の面目あつてまみえることができるでありましよう。我々は民族の恥辱としてこれを排撃しなければならんのであります。
不幸にして、終戰後六年、この対立がいつ果つべきかもわからぬというような状態にあります。勿論、一方にはこれを緩和しようとする努力も行われております。併しながらアメリカのとつておりまするところの外交方針が、他方の世界に優越した武力を持つことによつて、いわゆる武装平和を方針としようとしているのであります。従つてそれによつて生ずるところの結果は軍備拡張であります。
このことは御承知の通り、終戰後六十万トン前後しかなかつた外航船が、最近においては百二十万トン近くなる。本年度末、来年三月末日までには今のまま推進いたしましても、百七十四、五万総トンになる計画で、その相当部分というものは買船によつておる。これも一つの行き方である。買船の計画については、今ただちにこれを相当量実行できたら、その方にも金が出て行くということを御承知願いたい。
併しながら何と申しましても、終戰後六年を経て、而も当該地域の政府なり当局なりがすでに処置をとつてしまつておるような事情にありまして、よく覚えておりませんが、「ゼイ・ハブ・ゴーン」「なくなつておる」という意味だと思いますが、言われたのであります。事実なくなつておるから如何に日本側で公正な措置を主張しても、又、その主張を諒とはしても、事実上むずかしいことだという説明であつたわけであります。
終戰後六箇年にわたり、講和條約が結ばれず、世界歴史にいまだかつてない長い間の占領政治から寸時も早く解放せられて、真の独立国に返りたいという国民的熱望を考えるとき、明らかに連合軍による占領継続にまさるものとして、私はこの平和條約に賛成をするものであります。次に日米安全保障條約についてであります。 世界の平和が維持されるためには、アジアの平和が絶対に必要であります。
かような状態では終戰後六年間の間に現在の住民が自分らの眼で見、自分らの耳で聞き、自分らの体験から集積して來た結論で信託統治は絶対御免でございというふうになつてしまつたのでございます。 サンフランシスコにおける吉田首相の演説の日に、その模様がラジオなりそれから新聞なりに出ておりました。その一節を、沖繩人がそれを読んで私の所に帰つて來た。宮良さん、これをあなたどう考えますかこ……。
幸いにいたしまして、皆さんの非常に深い理解もございまして、終戰後六年、ようやく戰前の水準にひとしいようなところまで、サービスをとりもどすことができたわけでございますが、しかしながらただいま梶井さんからもございましたように、まだわれわれ従業員に対する批判、あるいは国民の要望というものは、非常に熾烈なものがあるわけでございまして、この熾烈なる御要望に、あるいは御批判に沿うためには、前途にまだ非常な困難があることも
けれども終戰後六年の間、フイリピンとの間に交通が杜絶いたしていたのも原因でございましようけれども、今日のフイリピン人は、相変らず、あの当時フイリピンで暴虐をいたした一部日本の軍人と今日ある日本人全体とは同じ心理状態であるがごとく解釈しているのではないかと存じます。
終戰後六箇年、わが国民が待望しておりました対日平和條約はサンフランシスコにおいて調印され、国民の将来にとつて明るい希望がもたらされましたことは、まことに欣快に存ずる次第であります。しかし、この平和会議に、中国を代表する政府が未決定のためその出席を見られず、ソ連代表が出席しながら遂に調印せず、中、ソ二箇国との関係が依然として戦争状態持続のまま持ち越されました事態は、きわめて遺憾に存ずるのであります。
又終戰後六年を経て、漸く私どもは講和條約という岸辺に辿り着いたのであります。この恵沢は国民全体の喜びとするところであります。一部の人がその恩沢に浴するのではなくて、国民全体がこれに浴しなければならないのである。ここにおいて従来の通りに大赦、特赦、減刑というような処置をおとりになる考えがあるかどうか、私はこれをお伺いするのであります。
理由 終戰後六年も経て、いま講和を目前にひかえ未だ海外に残留する同胞引揚の熱望は切実なものがある。特に講和後中・ソとの関係を考えた場合、條約草案に引揚事項を挿入するのみで満足することなく、更に政府は全力を盡してこの引揚を完了する如く努力すべきである。 私は、この主文並びに理由に若干の補説を試み、趣旨弁明を進めたいと思います。
私がしばしば議会において申しておりました通り、講和会議は、終戰後六年の間の、この間の期間が講和会議であるのであります。国民の議論を、国民の講和に関する要望、要請、希望をことごとく自由に発露することについて、私は一度もその制限を希望し若しくは遠慮するようなことは申しておらないのであります。(拍手)共産党の諸君の質問にさえも確答いたしておるのであります。