1952-06-07 第13回国会 参議院 経済安定・建設連合委員会 第5号
○赤木正雄君 安定本部で過去、終戰後今まで公共事業が按分されていた場合に、やはりそういうふうな科学的に基いて事業を按分しようという気持を持つておられたか、無論これは私は各省の仕事をずつとあなたのほうで見ておいて、確認制度も非常に複雑なことをされておりましたから、そういう気持でやつておつたつと私は思いますが、もう一度、今までどういう態度で以て公共事業を按分されていたか、それをお尋ねしたいと思います。
○赤木正雄君 安定本部で過去、終戰後今まで公共事業が按分されていた場合に、やはりそういうふうな科学的に基いて事業を按分しようという気持を持つておられたか、無論これは私は各省の仕事をずつとあなたのほうで見ておいて、確認制度も非常に複雑なことをされておりましたから、そういう気持でやつておつたつと私は思いますが、もう一度、今までどういう態度で以て公共事業を按分されていたか、それをお尋ねしたいと思います。
それは全部の答弁を御覧になりますとわかりますが、終戰後今まで株式投資、或いは貸付金として千八百万ドルぐらい来ておる。併し外資法の改正その他を考えれば、民間の投資も相当今後は殖える。これは楽観しておるわけじやない。私の見通しとして言つておるのであります。あなたがた外資の導入ということをどういうふうに今後お考えになつておるか。
それからもう一点のブリストル湾の問題についてでございますが、これはもう御承知のようにやはりあすこのカニ工船というのは日本人の非常にその経験のある手先の慣れた労働というふうなものが前提になりませんと採算が合わないというふうな関係からして、それで終戰後今までどこの国も着手できないでいる、そういう漁場でございまして、そういう漁場にもかかわらず日本はすでにもう二十数年前からやつていて資源さえ濫獲しなければそれで
なるほど終戰後今までは矛盾なく、こういつたものが一応この自由経済によつて発展する余地が出て来たけれども、現段階に至つて、私はそういう方式では、とうてい原料獲得の面でもあるいは日米経済協力の面でも行き詰まりを生じたがゆえに、この際この現実を根本的に認識して出直すということが必要なのだ、にもかかわらずあらゆる面において、たとえば食糧制限撤廃の面においてしかり、ドツジさんに池田さんがおこられるのも無理はない
そこで私はこの席上から大蔵大臣に対して、終戰後今までずつとこの六年間にどういう土地を取上げ、漁区を取上げ、これは私は今一例を言つたのですが、そういう全資料をこの委員会に提出することをここで委員長を通してお願いして話を進めますが、こういうような演習地、基地の土地の取上げ、漁区の取上げというようなものを行政脇定できめるということは、これは明らかに私は憲法で定められた国民の生活を脅やかすもので、こういうことを
従つてこの問題を今後の逐條審議の資料にしたいから、この終戰後今までに、日本の全区域に亘つて基地、演習地その他のために土地の取上げ或いは漁区の取上げされたものに対する補償の明細なものをこの委員会に提出願いたいという、これは第二は提出願いたいということ。第一は、行政協定でかかることをきめるのは憲法違反ではないかという質問。この二つであります。
○説明員(佐々木義武君) 今までの推定、僕も詳しいことはわからないのですが、厚生省のほうで人口を推定しておりましたところが、最近になりまして、どうも実情から見まして誤差があるようだという点が非常に明瞭になつて参りまして、更に従来の資料等を持ち寄つていろいろ研究した結果、やはり逐年、終戰後今まで少し集計が多めじやなかろうかという判定にしなりつつあるそうでございます。
従いまして終戰後今の関税率の各国の率を一つの刊行物にまとめて、そうして交換し合おうという、ずつと前の條約を再確認いたしまして、今後やつて行こうということになつておるのであります。今までは参つておりません。
○松井道夫君 終戰後、今の新聞紙法、出版法が効力を停止されて以來、出版を停止したり、そういつた処置をやつた例があるかないか、あるとすればその法律上の根拠はどこにあるか、その点をお聞きしたいと思います。
今日の建設業請負業者がいろいろな点で非常にお困りになつておるという噂を聞いておりますし、私も関係しておりますのでよく知つておりますが、今日の請負業者が非常に困つておりますいろいろな原因が沢山ありますけれども、そのうち一つの大きな問題は終戰後今まで無経驗であつた者が土建業の看板をかけておる者が非常に沢山おる。
○政府委員(今井一男君) 終戰後、今までの間に公務員などという言葉の意味は可なり変化して参つたことは御承知の通りでありますが、又終戰後政府が早々の間に、いろいろのいわゆる法律その他によらない便宜的な手段を講じて來たことも御承知の通りでありますが、それが新憲法その他の関係から段々恰好がついて來ました。これが結局におきまして政府職員と未復員者というものが筋が変つて來た行懸りだとかように考えます。
その結果手持ちの餘つておつた砂糖が三百五十トンくらいあるということでありまして、東洋釀造におきましては、終戰後今まで自分の手持ちの乾甘藷を使つておつた數量だけ乾甘藷で返してくれるか、あるいはその代りとしてこの三百五十トンをよこせという交渉を始めたのでありまして、これが決定につきまして農林省と會社との間に話がついて、結局三百五十トン甘藷は、當時の食糧事情の關係から渡すわけにいかないので、代替物として三百五十