1963-05-28 第43回国会 参議院 建設委員会 第18号
もちろん今度の大臣命令によりまして、三月三十一日までに終わりました作業においては、八百四十キロでありました昔の計画路線から四百十八キロと半分に都市計画路線を落として今案を作っておりますが、間もなく都の都市計画審議会にかけまして決定していただくつもりでおりますけれども、半分に落としました理由は、幹線の街路につきましては、重点的に施行をやろう、したがいましても今まで都市計画の細道路網といたしまして計画路線
もちろん今度の大臣命令によりまして、三月三十一日までに終わりました作業においては、八百四十キロでありました昔の計画路線から四百十八キロと半分に都市計画路線を落として今案を作っておりますが、間もなく都の都市計画審議会にかけまして決定していただくつもりでおりますけれども、半分に落としました理由は、幹線の街路につきましては、重点的に施行をやろう、したがいましても今まで都市計画の細道路網といたしまして計画路線
問題になりますのは、今度の法の中で制限の緩和というところでございますような、現在の都心は非常に細道路網がたくさん入っております。細道路網が入っておりますために、あらゆる地区から一方交通の車が全部広い通りに顔を出して参ります。
それは道路の形態が日本と違いますものでございますから、日本の道路というのは、実に細道路網と申しますか、こまかく分かれておりますので、したがって、分かれ過ぎておりますので、それでこの道路方式に徹底できないという事情にございますので、将来の一つの理想といたしましては、道路方式というものは、たとえば京都のような町の一つの形成でございますとか、ああいったような都市計画が実現できますれば、すべての都市に、これはまた
東京都の都市計画の街路というものにつきましては、幹線街路を初め細道路網までが、戦災直後に一応きめてございます。この線でいきますと、大体道路延長二千五百キロ程度で、所要経費は、現在この街路をいわゆる世界的の水準の街路にいたしますと、約一兆円を要します。
これと関連いたしまして、東京都の方におきまして基本街路、あるいは補助街路、あるいは細道路網というような都市計画の基本決定を持っておりまして、これをこの高速道路の建設と同時に並行してやっていく方針もとるわけでございます。
○政府委員(町田保君) 只今のお話でございますが、昭和四年に細道路網として議事堂周辺の道路網がきまつているのでございますが、先回もちよつと申上げましたように、終戦直後東京の大部分が焼けましたので、昭和二十一年の三月に一応従来の道路網を全部消しまして、そうして新らしい道路網計画が設定されたのでありますが、そのときにこの議事堂周辺の細道路網につきましては、この附近の将来の構想等がはつきりいたしておりませんので
ただそのときに細道路網と呼んでおりますが、局部的の路線とまだ新らしい、これに代るべき計画の立案ができていないものが若干残つているのでございます。それは特にその計画が立つたら消すということであつたのでございまして、丁度この議会を中心といたします区域については、昭和四年に告示した細道路網計画が現在も残つております。
ところが、従来の道路法の改正案は、東京都の特別区に関する限りはこれは東京都に読みかえるということで、三メートルの細道路網までもこれに拘束されてしまつているのが道路法の建前になつている。