2019-11-29 第200回国会 衆議院 財務金融委員会 第4号
だから、私は別に日銀を悪者にするつもりは毛頭ないですし、日銀は、その意味では、幾つか間違ったことはやっていますけれども、基本的な純粋性というのはあると信じているわけでありますけれども、正直にと申しますか、きちっと説明責任を果たすということは大事なことであって、財政民主主義という言葉を使う使わないは別にして、やはり国会で、本当は考えているんだけれどもこれは悟られないようにしようと思って、わざと、さっきお
だから、私は別に日銀を悪者にするつもりは毛頭ないですし、日銀は、その意味では、幾つか間違ったことはやっていますけれども、基本的な純粋性というのはあると信じているわけでありますけれども、正直にと申しますか、きちっと説明責任を果たすということは大事なことであって、財政民主主義という言葉を使う使わないは別にして、やはり国会で、本当は考えているんだけれどもこれは悟られないようにしようと思って、わざと、さっきお
つまり、中央アジアやその他百二十の諸民族からソ連邦は成り立っていましたけれども、そういうのを抱え込み過ぎたがゆえにロシアの純粋性が失われて、実はもう持ち出しの方が多いんだ、そういうことで、彼は、小さなロシアでかっちり固まった方がいいという純ロシア主義者、純スラブ主義者なんですね。 そして、それがくしくも、偶然、ソ連邦の崩壊ということで実現してしまったわけです。
それから、高齢者が抱く共生社会構築への思いということを、私が代表して皆さんの心情をしゃべるわけでございますけれども、自我を知ったがゆえの社会参加への期待というふうなこと、こういうことですけれども、実は、五十にして天命を知り、そして六十にもなるころには、案外人間わがままなんですね、世間を知り尽くして、世間になれて純粋性を場合によっては失うというふうなことの自分というのが分かっているわけですから、それを
そうでなくても、戦後になっても、例えば日本人の、何といいますか、一様性といいますか、純粋性、つまり多民族国家ではないというようなことに重点を置いて説明する向きもございました。あるいは、日本は和の文化であって争いを避けるというのが特性である、それが日本的経営に反映されて、そして日本の今日の繁栄を見たのであるといった言論が横行しがちでありました。
刑法のあっせん収賄罪を含めました賄賂罪の保護法益は、ゲルマン法的な公務の純粋性か、ローマ法的な公務の不可買収性にあるとされておりますが、この罪、本罪、あっせん利得罪の保護法益は、野党も与党も政治的公務員の政治活動の廉潔性とこれに対する国民の信頼、要するに政治倫理の確保にあるとされているのであります。
政党が自己のイデオロギーの純粋性に重きを置き過ぎますと、国民の多数派形成に協力し、それを手助けするということが困難になりますから、国民内閣制のためにはプラグマティズム政党が好ましいということになります。 プラグマティズム政党が国民の多数の支持を獲得し得る政策を探索する真摯な努力をするならば、政策プログラムは基本的には二つに収れんしていくのではないでしょうか。
中曽根元首相は、ことしの初めに行われたテレビの報道番組に出演し、政治家は純粋性と愛国心を持つ必要がある、理想とかロマンとか純粋性を持たなくちゃいかぬ、浅沼稲次郎とかあるいは徳田球一とか、あるいは日本の右翼連中でも山口二矢とか、ああいう人たちはそういう純粋性を持っていたでしょう、今の政治家に足りないものは愛国的純粋性ですよ、これを我々が若い人にも教え、我々も実践しなくてはいかぬという重大な段階に来たと
○阿久津委員 要するに、ちょっと保護法益のところで確認をしたいと思うのですけれども、与党案の保護法益というのは、公務の純粋性を守るということなのでしょうか、あるいは政治倫理の確立を図るということなのでしょうか、与党提案者に伺います。
賄賂罪の保護法益については、一般にゲルマン法に由来しますところの公務の純粋性かローマ法に由来するところの公務の不可買収性にあるとされているのでありますが、もし本法案における地位利用収賄罪の法的性格というものが公務の廉潔性の保持にあるんだとするならば、刑法の賄賂罪、とりわけあっせん収賄罪の特別法ないし補充法という性格を持つことになります。
私は、何で吉野川に行かないんだ、どうだと聞かれるから、それは民主党の議員さんも私のところへ来られて、なぜ行かないんだというときには、実は大きな声で言えないんですけれども、この方は神戸の市長選挙のリコール運動までやっておられる、純粋性が認められないと。
○児玉委員 純粋性というのは、辞書を引きますと、まじり気のないということです。福祉としての純粋性、この点は後ほどさらに議論したいと思います。 そこで、今回の法律の改定において、従来福祉事業に対して責任を負っていた国の公的な財政負担、公的な負担がどのように維持され、充実されていくか、そのことに広い関係者から真剣な目が注がれております。
○丹羽国務大臣 社会福祉事業におきます公共性、永続性というのはわかるのですが、純粋性というのはよくわからないので、ちょっと教えていただけますでしょうか。その上で、またお答えいたします。
公費でもって賄われる運営費が勝手にあっちこっちに消えていく、企業本体の株の配当金などになって消えていくということになれば、先ほどの保育事業の公共性、純粋性が維持できませんね。いかがでしょうか。
○児玉委員 今のお答えで非常に明確になりましたけれども、公共性、純粋性、永続性、これはそれぞれ独立した概念であり、独立した概念として大切にされなければいけないし、三者一体、総合的にも堅持されていかなければいけない。
昭和三十八年、一九六三年のことですけれども、厚生省は「保育所の設置認可等について」という文書の中で、保育所の設置経営主体として、以下それをそのまま引用しますが、 私人の行う保育所の設置経営は社会福祉法人の行うものであることとし、保育事業の公共性、純粋性及び永続性を確保し事業の健全なる進展を図るものとする とされてきました。
私は、政策を論ずるときに、政策だけで物事を突き詰めていくと政策の純粋性ばかりが追求されて、ついには財投廃止論みたいなところに至る、銀行協会がやってきた郵貯縮小・廃止論のようなところに結論が至るということについては大変問題だろうというふうに思います。
サッカーくじがスポーツの純粋性を損なうとの論議がありますが、これらサッカーくじを実施しているワールドカップ出場国では実際にサッカーの純粋性が損なわれているようなことがあるのか、長沼会長にお聞きしたいのです。よろしくお願いします。
ちなみに、平成九年十二月十一日、参議院の参考人質疑におきましては、川淵三郎参考人、Jリーグのチェアマンでございますが、サッカーくじ導入によってサッカーの独立性や純粋性が損なわれる心配はない、このように発言されていることをつけ加えさせていただきます。
我々としては、つぶさにそういう陳情を含めて一つ一つ整理整とんしながら見てみますと、スポーツという純粋性の中に宝くじみたいなものを導入することは、それを汚すんじゃないかというような意見もありましたし、青少年に与える影響がマイナス的なものが多いんじゃないかと懸念される意見も十分にあるわけでございますが、今回私たちがこの法案を審議するについては、まず各界関係者から具体的な話を聞いて、その中に立って公正な議論
もう一つお伺いしたいのでございますが、サッカーくじを実施することによってサッカーのスポーツとしての純粋性が失われると言われております。それならば、サッカーくじを実施しているイギリス、イタリア、ドイツ、フランスなどのヨーロッパ諸国やブラジルなどの南米諸国では、サッカーはスポーツとしての純粋さを失っているとお考えになられておるのか、そうじゃないのか、お聞かせをいただきたいと存じます。
今、池田さんが、サッカーの先進国と言われるイギリスやフランス、イタリアでは、サッカーくじを導入することによる大きな問題は余り聞いてないというようなことをお話しくださったんですが、スポーツとしてのサッカーの独立性や純粋性というものが、こういうものを導入するとやはり心配だという日本の世論はあるわけですよね。
枠内では、法人税というものはそもそもどれだけ税金を取るか、こういうことでありますから、その法人税の中で損金不算入という形になればそれはそれで十分なことを果たしてきた、こういうことになるわけでありまして、それ以外に罰則的なことをやるとかなんとかということになれば、法人税が税金を取るという法律でなくていろんな別のことを考えていかなければならないものだろうということになってくるわけでありまして、法人税の純粋性
最近日本語の純粋性が損なわれるのではないかと心配するほど片仮名文字がはんらんしているわけです。レディス・ハローワークというのは何語だかわからないのですけれども、英語から来たものらしいとは思いますけれども、これを女性専用の職業安定所とすぐわかる人が日本人にも外国人にも余り多くはないのではないかと思うわけでございますが、この名前をおつけになった理由をお聞きしたいと思います。
放送法は、他の法律によって保障される法律ではなくて、憲法から発する全法体系の中で放送の純粋性が保障されているはずです。こういう立場からいうと、にわかに他の法体系によってこうした立論がなされるということは極めて危ないというふうに言わざるを得ません。 具体的に言いましょう。例えば防災無線、これは何で免除されるのか。抽象論は困るから根拠法を言ってください。
つまり、主権というものを盾にとって、それが絶対的であるという発想はもう既に十九世紀的な発想で、現在の我々の社会、しかも日本のように経済大国においては主権国家の純粋性というものはもう崩れているわけです。さらには、国境を越えたさまざまな問題がございます。