かくて昭和二十三年十二月初句頃、足利工業の申出に基き、最後の納入分たる二重煙突五万フイートを納入代行業者太平商工株式会社職員藤原英三が検収をなし、同会社常務取締役にして、特別調達庁庁検收員たる山口総男名義で、納期たる同年九月三十日付の検収調書を作成した。
石井技官の指示に基いて作成しましたということで、納入代行業者としての責任がどうであるかということは、当時からも納入代行契約の解釈上も確認されておりません。私自身、私どもも確認しておりません。
○証人(藤原英三君) それは買付は、全然納入代行業者はタツチしておりま せん。というのは、つまり特別調達庁が買付けております。従いましてその物品購買の仕事は、特別調達庁自体の仕事でありまして、納入代行業者自体 はその点にはタツチいたしておりません。
という意味は、納入代行業者側から選ばれたのではございますが、個人として選ばれたものでございます。従いまして私のほうが納入代行業者として納入代行すべき品物につきまして、私どものほうの会社とほかの会社から出ておられる検査員が検査されてもよろしいし、特調の検査官がやられてもよろしい、一応そこには理論的には別個のものであると考えていいと思います。
太平商工は異議を申立て、自分は納入代行業者として契約をしておる、で納入代行業者としての契約の内容から行くというと、その契約に基いて国に損をかけたときは補償をするということが謳つてあります。また金を持つて行つたのは足利工業である、足利工業から取返し得る立場にある……ある間は損とは言えないからというので誓約書と申しましたか、何か念書が一つ入つております。
当時の契約は全部生産者の工場渡しになつておりましたような関係と、当時軍の要求が非常にたくさん出ておりまして、一々役所の方から出向いて検収をするわけに参りませんので、戰災復興院当時から納入代行業者に検收事務を委託しておりました。
○堀井政府委員 検収の業務は、先ほど官房長からも御説明申し上げました通り、戰災復興院から納入代行業者に委託するという形式がとられておつたので、特調におきましても当時まだ陣容が整いませんので、そのままそういう形式をとつておりました。従いまして事務的には、大平商工の代表者でありまする山口某を特調の嘱託といたしまして、これを検收官としておつた次第でございます。
をする時期におきましては、すでに特別調達庁でこの事務の引継ぎを受けておりましたのでございますが、当時この二重煙突に限らず、相当建設工事が活溌に行われておりました時期でございまして、各種の非常に厖大な購買、購入要求が出ておりました際でありますので、そうした多種類の、又厖大な数の検收を役所が少数の人間を以ちまして、検收事務を直接いたすわけに参りませんので、止むを得ず便宜の処置といたしまして、当時の納入代行業者等