1965-03-23 第48回国会 衆議院 運輸委員会 第15号
その建議は、石狩-十勝連絡線、いま鉄監局長が言われたような順序で、北広島-追分間、紅葉山-金山間、右左府-御影付近間、こういうことになっておるのです。
その建議は、石狩-十勝連絡線、いま鉄監局長が言われたような順序で、北広島-追分間、紅葉山-金山間、右左府-御影付近間、こういうことになっておるのです。
したがいまして、着工に必要な諸手続がその後進んでおったということでございまして、その建議の内容としては、先ほど来お話がございましたように、石狩-十勝連絡線、敷設法の別表は先ほど泊谷委員のお話しのような表現であるわけでございますが、建設審議会としてはこれを組み合わせまして、石狩-十勝連絡線(北広島-追分間、紅葉山-金山間。右左府-御影附近間)というような結び方をされておるわけでございます。
「石狩・十勝連絡線(北広島−追分間、紅葉山−金山間、右左府−御影附近間)は長大路線であるので、工事の難易、開発効果、予算の規模等を勘案し、投資効果のすみやかに発揮し得る区間より着工するものとする。」と区間を明示されておる。そしてこの間においてはいろいろ難工事とかそういうことがあるので、やりやすいところからやっていく、こういうことが着工線になるときに特に決定してあるのです。
○佐藤(光)説明員 いま泊谷委員からお話がありました石狩−十勝連絡線関係の鉄道建設審議会の手続の経緯は、お話にありましたように、昭和三十二年に鉄道建設審議会の建議として石狩−十勝連絡線の調査、それから続いて昭和三十四年十一月九日に昭和三十五年度以降着工することを適当と認める線といたしまして、お話のように石狩−十勝連絡線——石狩−十勝連絡線といいますのは北広島−追分間、紅葉山−金山間、右左府−御影付近間
北広島—追分間が二十六キロ、紅葉山—金山間が七十キロ、右左府—御影附近間が八五・六キロという非常に長大な線でございます。