1968-12-19 第60回国会 参議院 農林水産委員会 第2号
そういう意味からも、私は大臣が、先ほどは農政推進活動の面から、団体職員に人並みの年金をということを申し上げましたが、少なくともこの改良普及員や生活改善普及員の諸君は、戦前は系統農会、次には農業会、戦後はモデル農場勤務、そして現在の改良普及員制度と、四転、三転しているんです。身分がいつも不安定である。
そういう意味からも、私は大臣が、先ほどは農政推進活動の面から、団体職員に人並みの年金をということを申し上げましたが、少なくともこの改良普及員や生活改善普及員の諸君は、戦前は系統農会、次には農業会、戦後はモデル農場勤務、そして現在の改良普及員制度と、四転、三転しているんです。身分がいつも不安定である。
昭和六年前後の米の大暴落で米の減反問題が起きましたときに、私は系統農会におりましたが、当時後藤文夫農林大臣が減反問題を持ち出したことがございますが、つまり米ができ過ぎて自由経済においては減反をしなければならぬという方式を後藤文夫氏が提案をし、これまた失敗に終わった。このときの統制方式は上限と下限をつくって基準米価を定め、直接的価格統制の方式に乗り出してきたことは注目に値すると思うんです。
私ども、昔の系統農会に籍を置いた時代に、ビール麦の契約栽培制度というものを当時発足せしめた経験を持っております。ですから、これは相当の歴史もありますが、どうも購買者側は一つのカルテルをつくっておって、協定価格で臨んでくる。また、そこへ売らなければ、ビール麦の場合でも、他へ売ったのでは価格が下がる。したがって、そこに対等の取り引き者の地位というものが正常化されておらない。
昔、私は系統農会の仕事をしておりましたが、その当時は、チフスだんごを農事試験場でつくりまして、毎年早春の今ごろになると全県下一斉に駆除せいということをやった。
それが大体契約栽培という、従来これは系統農会当時からのいきさつなり歴史があって、主としてこれは系統農会がやっておって、当時の産業組合はあまりこれにタッチしていない。そういうところから、この新しい段階になっても、その流れが強いところや、いろいろな従来の実績等から、一部にそういう麦購連というものが産地にあるわけであります。
○池田参考人 昔の系統農会、これが全く政府の御用機関であった、こういう考え方は一面には成り立つような面もあるかと思いますが、しかし農会はやはり一応農民が組織しておった団体でございまして、それを時の政府がいかように活用したかというような問題との関係で、実質的な面でそういう悪い姿が現われた、こういうことはあり得ると思うのであります。
もし職員という名前をつけたから、それで技術訓練して、また昔の系統農会のような考え方を持つとするならば、これは絶対に農村の団体濫立であつて何ら効果がない。
由來農業技術員は、系統農会に所属しておりましたがために、農民の農業会に対する不信反感等によつて、これら技術員に対しても、部分的には好意をもつていない向きもあります。