2004-04-13 第159回国会 衆議院 農林水産委員会 第10号
なぜこのような例を冒頭お話しさせていただいたのかと申しますと、我が国の近代から現代にかけてのいわゆる農業技術の普及は、このような農業生産に研究熱心な篤農家や、農業に従事することを誇りに思い、農業改良などを進んでする精農家と呼ばれる方々、明治に入ってからは国や都道府県の試験場の研究員、そして戦後からは地域の農業改良普及員など、本当に多くの農業関係者の自己犠牲的とも言える地道な、そして献身的な努力の積み
なぜこのような例を冒頭お話しさせていただいたのかと申しますと、我が国の近代から現代にかけてのいわゆる農業技術の普及は、このような農業生産に研究熱心な篤農家や、農業に従事することを誇りに思い、農業改良などを進んでする精農家と呼ばれる方々、明治に入ってからは国や都道府県の試験場の研究員、そして戦後からは地域の農業改良普及員など、本当に多くの農業関係者の自己犠牲的とも言える地道な、そして献身的な努力の積み
私のような、堕農ではないんですけれども、それほど精農でもない、篤農でもない農業者がこの十分の一に残っているというのはそれは何ででしょうか。それは私に借金がなかったからです。借金を持った農家というのはほとんどやめてしまいましたし、今残っておる人たちも借金のためにやめることもできないというふうな人たちがおるということなのです。
じゃ、その余力というか農地なりあるいは牧草地、これをどういう形で我々が考える中核的な精農の農家へ集約していくんだろうか、こういったことがやはり組織的に行われなければ日本の食糧自給率というのは私は確保できない、ましてや畜産においてをやと、こう思っております。
そういう精農家の方ばかりであります。 そういったことを考えますと、今度の価格決定でも、やはりおっしゃるように希望の持てるような生産費を補償できるような価格決定に何とか持っていきたいなと。今晩、あすと皆さん方の御意見を聞きながら努力をしてまいりたい、こう思っております。
いろいろ農林省も政策を発表しておりますけれども、精農の農家に農地を集約して生産性を上げるとか、こういった問題も大変お金のかかる手法だと思うのです。農地の集約化のために現在程度のお金でいいのかどうか、この辺にも抜本的なメスを入れていかなければとても食糧の自給率を上げることは難しいのじゃないのかな。
今御指摘があったように、お年寄りが、六十歳以上が五割も占めておる、十年先には七十歳以上が五割になる、その先には八十歳以上が五割、その農地をいわゆる精農家へ集約していく作業、これがこれからの食糧自給率を落とさない一番基本的な政策ではないのかな、こう思っております。
そして、もう一つの特徴は、これは国、県の指導を仰ぎながらすべての投資をして、生産基盤をして、防風対策をして、完全に育成して、今これから生産段階に入るというふうないわば精農農家に極めて影響が大きかったということもまた特徴的ではなかろうかと思います。
そして五番目の特徴は、どちらかというと精農家に、一生懸命営農に努力されている方に被害が大きかったわけであります。皮肉にも今回の青森県の被害は、台風だけでなく、水稲にあっては県南地方、太平洋側の方ですね、いわゆる南部と言われる方が水稲の冷災害が多いわけでありまして、この稲も持ってまいりました。これは半作以下の状況であります。
○秋山肇君 次に、土づくり、一生懸命、私どもも見せていただいた精農家の方々の田んぼというのは堆厩肥がつぎ込まれていて地力のある水田であった。
いわゆる日本古来の精農主義から粗放農業に転落することにつながります。この際、大規模化一本やりの農政を改め、農村を軸とし、地域の自然環境を生かし、畜産と水田、畑作を結合し、各地の有機農業の経験を取り入れた新しい農業のビジョンを打ち立てるべきだと存じますが、いかがでございましょうか。(拍手) 次に、林業問題についてあえて総理に伺います。 国土の七割を占める森林は、今全く荒れ果てております。
そして大変精農で、立派な良質のものをつくる技術も進んでいる。そういうところで地域的にそれぞれの生産者が創意工夫をして立派な経営をしております。こういう経営というものがあるのですからこれをやはり生かしていかなければ、規模拡大、規模拡大とばかの一つ覚えのように言ったってそれはどうにもならぬじゃないかという面がある。
そういう中で、あと残っておりますのはてん菜、サトウキビ、カンショ、バレイショ、大豆と菜種はもう済ましていただきましたから、あとこれだけが残っているわけでございますが、生産費・所得補償方式あるいはパリティ方式その他いろいろ実需実勢に見合うもの等々いろいろな価格がありますが、要は時代の情勢に合わし、そして生産性の向上とその生産に携わる人が意欲を持っていただくように、精農家が、篤農家が、意欲ある人が励ましになるような
特に精農家の間で、その声が認められるのであります。隔年結果につきまとうこの技術格差の大きい果樹のような作物に、そもそも基準収穫量という平年作の概念を適用することがいいかどうか。また、それをとらえることの技術的な困難さ、ここらあたりの基本問題はおくといたしまして、いずれにしましても、現行制度の損害。てん保方式と農家の損害感のずれはかなり大きいものが見られるようでございます。
それから、第二の魅力はないものかということでございますけれども、先ほども申し上げましたように、五十五年の改正以来、十分とは言いませんけれども、特定危険方式あたりは現に伸びてきておるという実績もございますから、落葉果樹あたりを中心にいたしますれば、精農家あたりにもこの特定危険方式というようなものについては決して魅力がないものだとは思っておりません。
そこがやはり精農家たちのこの災害制度にかかわるいろいろな不信にもつながっておるのではないか、こういうことを言わしてもらいたいと思います。
それから三つ目は、以前に比べても共済金の支払い額が少ないということ、そしてそれにつながることではございますが、基準収穫量の査定が平年収量とはいいましても低過ぎるというような不満が特に精農家の間で強いようでございます。制度の仕組みと農家の損害感のずれがどうも大きく感じて仕方がないのでございます。
将来の値上がりだけを考えて、そして精農じゃない、惰農で形だけはどうにかやっているというような、こういうけしからぬ者もおることは事実でありますが、それはそれとして私はチェックの機関はできると思うのですね、人間の知恵をしてするならば。 だから、それが十分にできるという前提に立って私はお尋ねするのですが、いまの大臣のお話は大体わかったような気もするし、わからないような気もするのです。
それはそれなりに私はいいと思っていますが、問題は、このタマネギの一件に見られるように、いままでやっておるタマネギの精農家を、そこに命をかけておる農家がつぶれても稲転としてタマネギをやらせる。この場合、外国のタマネギの輸入をそのままにしておく、こういう分析がどこを探してもないのです。だから、こういう批判が出る。これは分析して、どういう教訓を引き出してどうなさるつもりか、お答え願います。
しかし、もう一つは、第三者に対して経営移譲が行われて、それで第二種兼業などで土地を持っておるのだけれども、その土地の有効利用を果たせなくて財産的に保持しているのだというものは依然としてそういう状態にあるというところは、まだ目的が果たされていないわけですから、これから規模拡大を図っていくとすれば、やはり土地を財産的に持っておって、専業農家あるいは精農家のように土地利用がうまくいってないという人があるわけですから
しかし、私はこの法律を見ると、少なくとも、一〇〇%まで返している都市が約四〇%近い、こういう現実から見ると、やはりこれはただ単に両論があるというだけではなくて、この法律そのものが、まじめな精農家に対して税をもってして宅地に供給させようという発想そのものに非常に問題点があるのではないかというふうに私は思うのです。
大変な精農家なんだ、みんな。はっきり申し上げるというと、昔は革新系の地盤じゃなかったんだ。これは全部保守系の地盤だった、前には。それがいまやそうでなくなってしまっている。しかも各政党に対しても、政府や公団に対しても、これほど不信感を持った層というのはないでしょう、今日。どこにありますか。そういう意味で私はいま一つ一つ質問をしておるわけなんです。もっと具体的に答弁したらどうですか。
しかし、北海道の私どもの地帯でもいわゆる経営技術のいい農家、昔でいえば精農家と言われる農家は、いかなる凶作の年であっても経営収支の維持は図れておるわけです。天災融資も要らなければ、経営収支が赤字にならないのですね。
いずれ将来は食管会計の赤字を解消なさるのでしょうから、それを農林省の既得権とされて農地集約化のための原資にお使いください、そして三十年年賦、場合によったら金利ただ、十年据え置きで、先ほどの精農家に農地を集約化する手だてを農地法にかわってしなければ、これは農村に若い青年がとまらない。農地はよだれが出るほど欲しいけれども取得できないという現在の状況は直らないと思います。