2007-02-07 第166回国会 参議院 少子高齢社会に関する調査会 第1号
私は、そういうふうな精神作興を大いに、そういうふうなことを考える時間というものを夫婦が自由に生きつつ改めて学習し直すということが家庭にとって、それから会社にも、社会にとっても望ましいのかなと思いますね。
私は、そういうふうな精神作興を大いに、そういうふうなことを考える時間というものを夫婦が自由に生きつつ改めて学習し直すということが家庭にとって、それから会社にも、社会にとっても望ましいのかなと思いますね。
それを上から、しかも職員参加による事務能率向上運動とかあるいは公共施設の管理運営について地域住民のボランティアの活用とかというように、上から権力的にこういうことを強めるということ、これはまさに私は戦前の国民精神作興運動、あれを思い出す。まさにそれと同じような形で画一的なモデルをつくって、これでやりなさい、三年間ですよ、こういうやり方は私は大変なことだというように思うのです。
これは、私ども酪農振興の歴史を見ますと、酪農振興につきましてはやはりいろんな生産をなさる方、あるいは行政も、畜産の部局だけではなくて、たとえば普及の部局とか、あるいは畜産の場合特に衛生とか、そういういろいろな方々が集まりまして、一種の精神作興運動と言えばいささかオーバーかもしれませんが、本当にそれをやっていくんだというような運動の成果がだんだん現在の酪農をつくっていったと思います。
まず気分的には通産省は胸を張っていこうではないか、国民に国民経済が明るくなるぞという自信を抱かせようという精神作興面から始まりまして、そして、いまちょうど天の恵みといいましょうか、OPEC諸国の立場は大変気の毒だと思うのです、ですが、私たちは国際カルテルのもとに、二度の石油値上げによって七転八倒しながら、一炊は何とかうまく切り抜けたと思っていたのですが、二次の切り抜けがなかなかできないで前途の光明を
そういう管理の事務的な問題だけでは問題が解決いたしませんので、もう一つ業務改善推進委員会の方で、多分に精神作興的ではありますけれども、そういうことを進めると同時に、私自身が地方を回りまして全部の機関長を集めていろんな話をしたり、二部の機関長を集めて話をしたりというふうで、そういう精神作興運動と、私の新しい考え方を現場の管理者にじかに三時間、四時間という時間をかけて問答をやりながらこのことを進めるという
総裁は精神作興的なことも考えて、地方にもよく出かけていろいろそういう改善の道、考え方というものを徹底させるために努力をなさっているというように思うんですが、そういうことを感ずるんです。この点で、ひとつ総裁の見解をお聞きをしておきたいと思います。
につきましても、すべて関係の管理者がこれを承知して行ったわけでございますし、また一般の職員はそうした指示に従って事務処理を行ったわけでございますので、管理者が挙げて全責任を負うということで、先ほどお答えいたしました業務執行点検委員会の後で、本年の一月十日に業務執行改善委員会というものを、これは総裁がみずから委員長になりまして社内につくりまして、ここでこの問題につきましても管理者の管理体制の確立と役職員の精神作興
そういう意味で特別公務員制度になっているわけですが、いずれにいたしましても、そういう点等を判断しながら、やっぱり整備するものは先にきちんと整備をする、その上で職員にいろいろ要望するものはする、そういう形でありませんというと、何か精神作興運動みたいになりましてまずいので、その点は重ねて申し上げておきたい。
こういう何か、精神作興ではありませんが、自主的な動きを本当に温かい目で支えるというような政策等もいまや並行していかないと、ただ金を出すからどうだということだけではもはや解決がしないのではないかと思うのです。 それからもう一つは、これはやはりいろいろ議論がある点ですが、五百万の農家の中で、専業農家はもう七十万ぐらいしかいないというのが現実です。あとの四百万以上は、これは兼業農家である。
さらに「教育二關スル勅語」は言うまでもなく、「戊申詔書」、「国民精神作興二關スル詔書」、「青少年學徒二賜バリタル勅語」、「終戦ノ詔書」などなどが戦前の重要資料として列記されているわけです。ところが、戦後に至りますと、この戦後の始まりは何であるかというと、それは戦後は学校教育法から始まるんですね。これはごらんいただけば明らかですよ。
「(国民精神作興)大東亜戦争従軍記念メダル発行趣意(二万個限定発行) 大東亜戦争は事志とたがい敗戦の憂き目をみた。しかし、祖国の敗戦にも不拘、大東亜は欧米諸国の植民政策より解放せられ、ビルマ、インド、パキスタン、マレーシア、インドネシア等次々独立した。これ一にわが幾百万戦没傷い将兵の熾烈な愛国心による尊い犠牲の賜であります。
一九三〇年に山東大出兵したときの国民精神作興のときに、やはりマルキシズム批判がやられているのです、学校に対して。同じやり方なんです。同じやり方で、しかも当時は少なくともマルクス主義に対する理論的な原則的な立場をとっている反対の人でも、反マルキシズムの学者でも、かなり理論的な立場をとってやっているのです。格調高いのです。
〔主査退席、渡辺(栄)主査代理着席〕 民族の精神作興のためにもしたくないので、したがって、最善の措置を講じて、いわゆる地方住民のそうした要望にはできるだけ沿うような方針でいきたい、かように考えております。
しかし、内藤委員の精神作興の面のお話は、私もよくわかるのであります。
けっこうなことだと思うのでございますが、精神作興運動みたいなことを、われわれも大臣も同じ年輩だと思いますが、戦争中経験しましたが、ああいうことだけで問題は解決しないと思う。一つには、社会には悪がある、社会の悪というものから青少年をどういうふうにして遮断していくかということが私は重要な問題だと思うのでございますが、原則論としていかがでございますか。
○安井国務大臣 私どもも、青少年問題を扱います場合に精神作興運動のような形で上から押しつけるというつもりは毛頭ございません。青少年自体が自分から自分の民族に誇りを持つように、あるいは将来に希望を持つように、そういういい環境と、いい指導ができるように仕向けていきたいと思っております。
数字の上におきましては、これはあとから資料等も見ていただいてもよろしいと思いますが、いずれにいたしましても、やはりよどみがあることが、活発な活動あるいは精神作興のできない原因もあるかもしれませんが、そういう点につきましては、今後十分検討いたしまして、そういうことのないように努力いたしたいと思います。
ことに、今回新たに入っておるような消費の健全化、こんなものはだれが考えたって精神作興か何か知りませんけれども、全くこれは政策としては噴飯ものだといっても差しつかえないと思います。したがいまして、結論的には、先ほども言いましたように、ほんとうにわれわれ期待もしておりますし、国民もたいへん期待をいたしておった物価対策というものは、結局は具体的に何も出なかった、こういうことであります。
だけれども、この人間が死ぬか、生きるかというさなかにおいて、しかも楠公精神をくんで精神作興のために韓国人でありながら努力する本人の精神をくんで私は選任届けを出したわけなんです、その内容も聞かずに。京都裁判所といえば、日本でも相当の裁判所なんですね、御承知のとおり。そのうちの判事がこういうくだらないことをするということは、私はこれは裁判所の威信にとって非常に惜しむものです。
今度家を建てるときには、震災の方向に対してこういう向き方で、こういう形のモデルに沿うたような農家住宅をつくれとか、あるいは負債整理と兼ねた精神作興とか、そういうようなことを農林省がお考えになってみられたらどうか。
ついては、なぜ動力車労働組合が事故対策に入り得なかったかということについていかように思っておられますか、われわれが推測するところによれば、どうも労使間の話を今までして参ったけれども、労使間の中で結着がついた話し合いでも、残念ながらその通りの予算をつけて設備改善等をやってくれたためしがない、あるいは事故対策委員会、そういうところへ行くと、いわゆる精神作興面だけの御強調になり、職制の実施、そういうものだけが
従って、援護法のワクを拡大するか恩給法のワクを拡大して、これら戦争の尊い犠牲者に対して報ゆる道を作らなければならぬと考えておるものでありますが、今回のこの改正の場面から直ちにというわけには参りますまいが、最も近い将来において、これらの人々をすみやかにそのワクの中に入れて適当なる処置をすることの意思があるかどうか、こういう点は国民精神作興の上からも非常に大事な問題であろうと私は思うのであります。