1987-05-21 第108回国会 参議院 内閣委員会 第3号
それから「二、関東軍、蒙古駐屯軍等の要請に基く治安粛正工作に参加して、戦没し又は戦傷病者となった者」、三が「反満抗日章等反動分子の襲撃を受けて死没し又は傷病者となった者」、四が「ソ連軍又は反乱軍と交戦して戦死し又は戦傷病者となった者」、五が「終戦後、在職中の職務に起因して捕われ、人民裁判等の名目で処刑された者」、こういうものを掲げております。この掲げておる言葉は今日妥当を欠く言葉がございます。
それから「二、関東軍、蒙古駐屯軍等の要請に基く治安粛正工作に参加して、戦没し又は戦傷病者となった者」、三が「反満抗日章等反動分子の襲撃を受けて死没し又は傷病者となった者」、四が「ソ連軍又は反乱軍と交戦して戦死し又は戦傷病者となった者」、五が「終戦後、在職中の職務に起因して捕われ、人民裁判等の名目で処刑された者」、こういうものを掲げております。この掲げておる言葉は今日妥当を欠く言葉がございます。
この申し立て人は、昭和十二年八月十日、満州国の警察官として在職当時、当時の関東軍が招集をいたしました満州東辺道地区夏季特別治安粛正工作のための日満軍警連絡会議、当時治安維持会会議と言ったそうでありますが、この会議に出席のため搭乗した軍用機の墜落によって重傷を受け、ために勤務不可能となり退職され、昭和十八年十二月以来、満州国恩給法による傷病年金を受給していましたが、終戦によりまして満州国が解消いたしましたため
このような状況下において、夏と冬には日本軍の統制下にあって日満軍警一体となって特別治安粛正工作が実施され、その前後には必ず治安維持委員会が開催されておった。
○米沢委員 たとえば当時、ゲリラの粛正工作は軍の重要な任務であった。したがって、軍と警察が一体となって関東軍の指令のもとにその作戦を練り、そのための会議を催し、それに基づいた行動をするということは、これは軍事行動ですね。
それからマレー半島地区におきましては、日本軍の資料によりますれば、日本軍は昭和十七年の三月上旬からマラヤ各地区の粛正工作を開始いたしまして、四月末までにスルンバン、マラッカ両州において約千五百名の中国人を逮捕して取り調べまして、その大部分を釈放したということになっております。北ボルネオの、先ほど申し上げましたのは、これは法務省の調査による数字でございます。
したがいまして、いわゆる共和製糖を含むすべての黒い霧につきましては、法務大臣としても全力をあげてこの粛正工作に検察陣を指揮してやらなければならぬもの、あなたはいつも検察陣を信頼しておるということだけでありますけれども、しかしそれだけではいまの世論の期待にこたえるわけにはいかぬではないか、こう痛感をいたしておる次第であります。
こと犯罪事実に属すること、あるいは法務府の特審局に関する事案、あるいは政界その他財界の腐敗事実というものこそ、法務委員会が本来の任務として粛正工作にまず第一に立ち上らなければならぬ委員会である。議長の承認がいるならば、あらためて承認を求めていただければよろしい。そんなことは何でもありません。そういうことに藉口してこれに反対なさるということは、私は反対いたします。
それは、共産党は今うまいことを言つて國民を上手にだましておるが、もしあれが絶対過半数を得て政権を握つたら、合法的な政党も全部否認し抹殺し、粛正工作をやつて、要するに相手の法律上認められた政党まで、これを否認するようにして行つて、法律でこれを縛つてしまつて、共産党独裁の政治をし、人民には決して自由も平等も與えられないのであるということを、盛んに言つているのであります。
吉田首相は、與党野党の別なく断固として不正を糾明すべしとの決意を披瀝し、特に官界の腐敗に対しては、綱紀粛正委員会を設け、粛正工作を行う意向のように組閣直後発表されましたが、これは一体どうなつたのか。 大体、どの内閣でも、組閣の第一声として綱紀粛正をうたわないものはなかつたのでありまするが、それだけでは、新内閣おきまりの御祝儀的あいさつにすぎません。
粛正工作の遂行は、不退轉のものでなくてはならないのででございます。一旦決意した以上は、この内閣によつて大掃除をしていただかなければならない。しかるに、何ら大掃除などということは考えずに、ただ一言にしていえば、解散々々ということばかりを言つておる。政界、財界、官界の粛正についての具体的の方策は、組閣以來二十日たつた今日において、いまだに何ら現われておらないのでございます。