2005-11-30 第163回国会 衆議院 沖縄及び北方問題に関する特別委員会 第4号
次々に市内にとまっている黄色ナンバーの米軍車を焼き払って、それで、時あたかもアメリカにおいては佐藤・ニクソン会談が行われて、ニクソン大統領は、両三年以内に沖縄を返還しないと沖縄の基地の維持はできない、こういう決断をした。そういう形で、沖縄県民は事あるごとに立ち上がって米軍との闘いをし続けてきたのであります。
次々に市内にとまっている黄色ナンバーの米軍車を焼き払って、それで、時あたかもアメリカにおいては佐藤・ニクソン会談が行われて、ニクソン大統領は、両三年以内に沖縄を返還しないと沖縄の基地の維持はできない、こういう決断をした。そういう形で、沖縄県民は事あるごとに立ち上がって米軍との闘いをし続けてきたのであります。
それから米軍が直接米軍車により行なう場合もあるわけでございますが、この場合は、昭和三十五年十二月に、日米合同委員会におきまして取りきめがございます。その取りきめに従って行なっているという実情でございまして、一応安全対策については留意されておると思います。
五月二日の琉球新報によりますと、「軍法会議で判決」この米兵に対する無罪の判決で「両親や関係者は憤慨」「大きな社会問題にまで発展した米軍車による上山中学生ひき殺し事件は一日午前九時から開かれた軍法会議で加害者の米兵に無罪の判決が下された。青信号の横断歩道を横断中に突っ込み即死させた悪質な事故だけに、殺人なみの重罪を、と訴えていた関係者たちはこの判決結果に激怒「いくら何でもひどい話だ。