2007-02-07 第166回国会 参議院 国際問題に関する調査会 第1号
ところが、日本の軍部も政府も、もちろん外務大臣も含めまして、このときに、それでも構わぬ、今こそチャンスなんだから出ていこうという外交方針を決めまして、そしてそのときの御前会議の一番最後に一行、対米英戦争も辞せずという一行を加えるわけでございます。
ところが、日本の軍部も政府も、もちろん外務大臣も含めまして、このときに、それでも構わぬ、今こそチャンスなんだから出ていこうという外交方針を決めまして、そしてそのときの御前会議の一番最後に一行、対米英戦争も辞せずという一行を加えるわけでございます。
日本は一九四一年十二月に対米英戦争を開始しました。この戦争の目的が、中国に対する侵略の継続とともに、広大な南方諸国への侵略の拡大にあったことは、開戦に至る天皇制政府と軍部の記録からも明らかなことであります。首相は、この戦争が中国と南方諸国に対する侵略を目的としていたことを認めますか。
次に、中国に対する戦争及び対米英戦争が侵略戦争であったことをきっばりと認めて、それにふさわしい反省の立場を示すべきであるとの御指摘でありますが、「侵略戦争」という用語の意味についてはいろいろ御議論があるところでございます。
文字どおりの領土の併合が生じましたのは対米英戦争開始以降のことであります。すなわち、シンガポールが日本領の昭南市となり、グアム島が大宮島となり、アリューシャン列島の中のアッツ、キスカ両島が熱田島、鳴神島として日本領だと宣言された例もございます。 しかし、ちょっと考えてみますとすぐお気づきのとおり、それはイギリス領、アメリカ領だった土地でありました。