1994-07-06 第129回国会 衆議院 農林水産委員会 第12号
米作農民をばかにしている話じゃないか、こういうのが率直な気持ちなんですね。それは不平等な国政なのではないか、農民をばかにしているのじゃないか。例えば国家公務員の人勧の問題にしても、先ほど申し上げましたとおり、それとのやり方については大変な差別があるのではないかという率直な感情があるのでありますが、それに対してどうお考えでしょうか。
米作農民をばかにしている話じゃないか、こういうのが率直な気持ちなんですね。それは不平等な国政なのではないか、農民をばかにしているのじゃないか。例えば国家公務員の人勧の問題にしても、先ほど申し上げましたとおり、それとのやり方については大変な差別があるのではないかという率直な感情があるのでありますが、それに対してどうお考えでしょうか。
私どもは、零細な米作農民や中小畜産農家、小規模酪農家などの立場に立ってみる場合に、低米価政策から米の減反政策の犠牲になったり、アメリカの余剰農産物としての飼料穀物の消費拡大に加担させられる橋渡しとしての農基法の機能しか見えてこない、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、そんな感じもするわけでございます。大臣の所見いかがでしょう。
何と申しましても、ウルグアイ・ラウンドの問題、米の問題については触れざるを得ませんので、その点でこういう世論といいますか、アメリカの場合、アメリカにおける本当の声と申しますか、政府は日本政府に米の自由化を迫っておるが、アメリカの米作農民は日本の立場をよく理解しておるそうだということを聞くのでありますが、その点について、大臣、お耳に入っておるでしょうか、いかがでしょうか。
ところが、米作農民は、あるいは団体は挙げて絶対反対を叫んでおることは御承知のとおりだと思います。 国会においても、幾たびか米の輸入については阻止をするというこういう受けとめ方があるわけですね。
これは何も食べ物だけじゃないんで、その辺が何といいますか、よく探ってみれば、アメリカはそういうふうに言ってきますけれども、例えばこの間の幕張の件でも、アメリカの米作農民に対する侮辱であると言って向こうは怒りましたね。ところが、向こうの米作農民は何も日本に米買ってくれなんて言ってないんです。言っているのは精米業者ですからね、輸出業者です。それはストックの値が上がるだろうし、いいんでしょうけれども。
だから、もし日本がアメリカの米を買うという状況になって、あのアーカンソー州あたりの米作農民が日本向けの米をつくるようになったら、この圧力はどんどんどんどん高まってくるのではないか。こういうことを考えると、一%といえども三%といえどもその道を開くということは、今後非常な禍根を、将来米の自由化を迫られる形で残すことになる。
需要が減少しているということがあるけれどもあるいは内外価格差を縮小するということがあるけれども、特に米作農民だけが、それぞれ昇給が行われている状況の中で、十三年前にさかのぼってまたことしも下げようとしているのではないかということが言われております。土地改良の費用負担の軽減について、一定の御配慮もされていらっしゃいますが、ぜひ御配慮を願いたいなというふうに思うのであります。
首を振っていらっしゃるからそういうことだと思うのですが、あなた方が生産組織を含むと言ったからといって、一・五ヘクタール以下の米作農民が救われることにはならないわけです。この算定方式での着実な米価の引き下げで、一体これから農民にどうしろとおっしゃるのですか。
すべての米作農民がこの引き下げで打撃を受けますけれども、とりわけ打撃の大きいのは中核農家ではないか、担い手ではないかということが食糧庁から説明されました。私たちもそうだろうと思います。 そこで、そういう状況の中で、とりわけ深刻な打撃を受ける者は年々政府に対して償還をしている米作農民ではなかろうかという問題を質問します。
脱脂粉乳やでん粉は農産品ではないというふうな言い方をしてみたり、とりわけ最大の問題は、国家貿易品目にまでガットが踏み込んだということで、米作農民にも非常に大きな衝撃をこれが与えているわけであります。米にまでいくのか、そういう点について政府はどうお考えでしょうか。
生産者、米作農民の皆さん方がせっかく血の出るような思いで七十七万ヘクタールの減反を実施していただいた瞬間に、さらにこれに上積みが来るのではないかという不安こそ、今後の我が国の水田農業を確立していくについて一番大きな障害になるという認識ははっきり持っておるわけでございます。
今、全国の米作農民の皆さんは自民党政府に大きな失望を感じると同時に、怒りを感じていると私は思いますが、行革審では、個々に詳しく申し述べるまでもありませんけれども、食管制度の全量管理方式の見直しを初めとしまして、転作奨励金の見直しまで六項目の指摘をし、その中で、「生産者米価については、米需給の構造的不均衡等にかんがみ、生産抑制的に決定」すべきであると言っておるわけでございます。
○中林委員 生産者米価が七月二十七日に決まりましたが、この二・二%アップというのは、農民、農業団体が要求していた七・七%アップという米作農民のぎりぎりの切実な願いから全くかけ離れたものであると言わなければなりません。昭和五十二年以来七年連続の実質据え置きということになったわけで、今でさえ赤字生産を強いられている大部分の米作農家の経営を一層悪化させるものです。
そうした方方がみずから意欲を失うようなしむけ方を米価の決定のたびにやっていくから、幾ら法律やら立派な所信、方針が出ても、まさに仏つくって魂入れずになるのではないか、私このように愚考いたしますので、改めて次官以下農水省の幹部の皆さん方も心して米価問題に、少なくとも米作農民、この方々に失望を与えない、そうしたことを今後とも絶え間なく御努力いただくことをお願いをしたいと思います。
したがって、以上述べたようなことを考え合わせてみると、第三期に当たりまして考えるべき第一の点は、米の需給安定の確保、二番は、備蓄米の保有、三番は、転作に対する米作農民の努力の限界などを配慮して、この際発想の転換をし、水田利用再編対策のあり方について根本的に考えてみる必要があるのではないかというふうに私は思うのです。そこで、担当の局長と農林大臣のまとめた答弁をいただきたいと思います。
また、米価は米作農民にとって賃金に相当するものであり、他公務員等の賃金が上昇する中で実質四年連続の据え置きは、まことに片手落ちの措置と言わざるを得ません。
なお、この機会にちょっとお許しをいただいて、先ほど来日野先生、串原先生から今年のお米のできがもう不作ではないかという、あるいは相当可能性の濃い意味合いを込めての御指摘がございますが、この委員会の席をかりまして大方の米作農民にお願いをしたいと思いますことは、農林水産省といたしましては、ただいまも石川次長がお答えをいたしましたとおり、まだまだ悲観的な状況だとは思っておりませんで、まだ事の推移を見定めないうちには
○亀岡国務大臣 結果的に日本の米生産というものをここ数年振り返ってみましても、やはり米作農民の方々の生産意欲はきわめて旺盛である。
してやっていただいておることでありますから、その点は私は賢明なる米作農家の皆さん方も、みずからを守るということでありますために、今日までもあのような厳しい中にあるにもかかわらず、生産調整に協力をしてくださってきておるということでありますので、今後も私どもも機会あるごとに団体並びに生産者あるいは市町村、自治体を通じて連絡、指導を緊密にいたしまして、私どもの改正する気持ちというものを十分理解して協力していただくことが、米作農民
したがいまして、食糧管理制度を運営することによって、先ほど長官からも申し上げましたように、一億一千万の国民に対して食糧を不安なくとにかく供給をしてきておるというこの現実、さらには、それがひいては生産米作農民に対して生活の基盤を与えておる、そうして生産意欲を減ぜしめないで今日まできておる、こういうことは私は非常にこの制度の果たしてきておる大きな役割りだろうと。
ということは、水田の面積を減らして米作農民も減少している。しかも、米作農民というのは、これは中堅、中核農家ではなくて、零細な農家だ。緊急時が発生したからといって、いままで転作していたものを、水田を荒らしたのを、緊急に生産体制ができる、米穀の必要な数量が確保ができる、そのようにお考えになりますか。
私としましては、今度の改正によってきちんと守られる法律、法文と事実が乖離しないような法律にしておくことによって、米作農民の立場を守り、しかも消費者に安心していただくことができるという、むしろ積極的な意義を感じて提案申し上げたわけでございます。したがいまして、私どもがみずからの権力を強めるというようなけちな考えは毛頭持っておりません。
○亀岡国務大臣 米作農民の心の支えになってきた、また実質的な支えになってきました食糧管理法という法律が、いろいろな批判を受けて、そして存続することが非常にむずかしいような情勢に持っていったのでは、これはもう生産農民も、またこの法律によって全量を政府が管理をし、そして主食を供給をしてきたというこの実績からして、消費者も実はこの法律を大変信頼をし、頼りにし、そしてやはりこの食管制度は長く維持してほしいという
○亀岡国務大臣 そういう日野君の考え方と相通ずるところを持っておりますからこそ、守られない法律をそのまま置いておいて、しかもこれが米作農民の基盤である、農政の一つの大きなよりどころである、こういうことを言いましても、やはり守られるようにきちんと常に整備をしておくということもわれわれ立法府にある者、政府にある者の務めではないか、こういう考え方で、先ほど来タイミングが悪いとかいろいろな御指摘は受けておりますけれども