1992-02-20 第123回国会 衆議院 予算委員会 第5号
同じ食管法でも、戦後の米不足時代には米をたくさん輸入しそおったわけですよ、南方の米とか何かをですね。これはお米足らないわけですから。だけど今は、今言ったように余っている。だから減反している。こういう中にぶつかって、さあ一トンも入れないといって頑張っちゃうのか。そこのところなんですね、これ。
同じ食管法でも、戦後の米不足時代には米をたくさん輸入しそおったわけですよ、南方の米とか何かをですね。これはお米足らないわけですから。だけど今は、今言ったように余っている。だから減反している。こういう中にぶつかって、さあ一トンも入れないといって頑張っちゃうのか。そこのところなんですね、これ。
当時は米不足時代を迎えており、何としても干拓をし淡水化をして食糧の安定供給を図らなければならぬというのが国民、県民の念願であったわけでありますが、二十五年、三十年を経過してまいりますと、米不足時代から米余り時代に変わってきたというのが現況であります。 予算委員会でも議論になりましたが、内閣総理大臣竹下登さんはよく承知をされておりまして、事態は変わってきたという認識を示されておるわけであります。
当初の目的は、米不足時代、土地造成をして国民に安定的な食糧を供給しなければならぬ、こういう意味で発足したことは農水大臣も経過として御承知だろうと思うのであります。今は、先ほども議論がありましたように、当初の予定を三倍も上回っておる事業費という格好になっておるわけであります。
ただこの問題については、昨年の米不足時代のときに大変いろいろな議論をいたしまして、備蓄という問題が非常に大きな課題になって投げかけられてきた。最近は大分緩んだと言っておりますけれども、しかしどう考えても、この米だけではありませんが、日本農業の生産状況を見ると大変不安定になってきておる。
さらに健康保険制度は、大正十一年に制定された健康保険法を基盤として拡充されてきたものであり、食糧管理制度は昭和十七年、戦時中の米不足時代、少ない食糧を国民に等しく分け与えるために導入されたものであります。 これら一連の国策がわが国の近代化と民生、福祉の安定、向上に大きな役割りを果たしたことは言うまでもありません。
当時は米不足時代でしたからね。ところがその後の事情によってこれはもう大きく計画が崩れて、現在のところでは、農水省ではこの干拓地を利用して酪農中心に花卉、野菜、こういう営農計画を立てておられます。しかしこれも干陸後さらに見直す、こういうことになっていますね。
一つは、「米不足時代にアルコール混入を認めた酒税法第三条第三項を削除する。」これは急にやれば大変なことですから、「激変緩和の措置を講ずる必要がある。」 二つ目は、「アルコールの混入量を決める酒税法第五十条第二項(承認基準)を計画的に引き下げる。」いま一トンの米に二百八十リッターのアルコールを入れてよいということを昭和四十七、八年ごろ決めたままですから、量をだんだん下げていこう、こういうことです。
ただ、では、昔採用したことがあるじゃないか、こういう御議論かと思いますが、やはりこれは、そういう問題はありましたが、当時はむしろ米不足時代でございまして、生産刺激的に算定要素を変えてきた時代でございますので、そういう時期といまとは事情が違うというふうに私ども考えておるわけでございます。
○渡辺国務大臣 まあいろいろ御議論はあると思いますが、食管法というのは御承知のとおり米不足時代にできた法律であります。基本的には統制経済の法律であります。したがって、統制をするためには、ともかく米が過剰になるような状態の中で米価水準を維持していくというためにはそれしかないのですよ。
昭和十七年にできた食糧管理法というのは、ただ米不足時代にできた法律である、それに対応する法律だなんて言ったら、これは大臣だって、食管法を見ないででたらめなことを言うわけにいかぬでしょう。いいですか。
食管制度の改善、運用の問題につきましては、まあいま勉強をしておるところでございますけれども、米不足時代と米過剰時代とでは実態が非常に違うわけでございますから、やはり量を中心にばかり考えても実態にそぐわない。
国営事業が始まって、それが十年とか十五年とか長い年月かかるわけですから、スタートのころは米不足時代に実施設計をやって、計画して、建設が始まった。ところが、昭和四十五年になってああいうことで転作をやる。農林省は予算をつけない。ダムつくって何するのだということで、私の地域にもあるのですよ。いまたんぼつくるためにダムをつくったのに、今度はダムを途中でやめられたんじゃ困るわけですよ。
したがいまして米不足時代でございますから、国民の食糧を確保する、そういうようなことで農家には割り当てをして米の強制供出、こういうようなことをやらしてきたことは、それは事実であります。したがいまして、食管法というものは米が余っちゃっておるときにうまく機能しない部分がございます。食管法も改正をして、小麦のように無制限買い入れなんというふうに改正をすれば別ですが、いま米の事情はそういう状態ではない。
今日の日本の米消費の構造は、米不足時代の消費構造がほぼそのまま維持されていると言ってよいのではないかと思います。たとえば穀物について言うならば、かつて私どもの主食は米でありました。今日ではすでに米を一〇といたしますと、粉食の方が五になってきております。紛食が主食の王座にのし上がる状態になってまいりました。それじゃそういう粉食の拡大がどうして可能になってきたのか。
またさらに消費の問題について申し上げますならば、依然として政府は米不足時代の消費構造を基本的にはそのままにしておいている。そういう状態をそのままにしておるのでありますから、したがって、米の消費の問題についても見通しの誤りが生じざるを得なかったのではないか、こういうぐあいに思います。
ただ、おことばを返すわけじゃございませんが、戦争中から戦後三十五、六年までの米不足時代、御承知のとおり、なけなしのドルを使いまして、それこそ現在はドルが余っておりますが、当時のドルは血のにじむようなドルを使って、あのうまくもない外米をばく大に輸入をせざるを得なかった、あの当時の実情というものを思い起こしていただければ、北限地帯まで米が伸びたという経済的な背景というものは、御理解いただけると思うのでありまして
そういうようなことを考えますと、私は、いまの状態からすると、全くの米不足時代というのを迎えるというところの結果になると思いますが、そういう点は大臣からも十二分に考えてもらいまして、私は時間がございませんから、これでやめますが、要するに、そういう過剰ぎみの基調は依然として変わっていないなんというところの、とぼけたような答弁はやめてもらいたいと思うのです。
○中村波男君 新聞によりますと、大臣は、米不足時代に政策的に配慮を行なった。こういう答弁をしていらっしゃるわけですね。私の承知しておるところでは、メリット還元を新しく入れましたのは、四十二年産米価からです。四十二年産はすでに過剰ぎみになっておった年なんです。したがって、大臣がそういう認識をしていらっしゃるとすれば、これは違いますので、改めていただきたいと思うわけです。
現在の米過剰問題は、すでに農業基本法が制定された当時から予見されていた問題であり、途中、一時、米不足時代のときもあったとはいえ、いやむしろそういうときにこそ政府に農政に対する的確な長期にわたる見通しがあったならば、現在このような事態には至らなかったのではないだろうか、こう考えております。
「稲作特別対質事業費は米不足時代から現在に至るまで努力して来た農民に最後のお礼として出したものであって、米審の答申に反しているものでもない。来年度は出す考えはない。」この「最後のお礼」というのはどうなんですか。
全国の生産農民と自民党佐藤内閣との絶縁の形で、いままで米不足時代から一生懸命にやってくれた、それは御苦労だった、もうこれから君らに努力してもらう必要もないし、世話にもならぬから、これを手切れ金のような形で出す、しかし、これがもう最後ですぞ、これからまた同じようなことをくどくど言ってきちゃいかぬ、そういうことですね。素朴な農民に向かって答えるような気持ちで、わかりやすく答えてください。
○玉置説明員 このアルコール添加は、おっしゃるように米不足時代に、できるだけ原料米を節約しよう、そういう意図で始まったわけでございます。昭和十七年以来続けられておりまして、いわば消費者の嗜好がアルコールを添加した酒になれてしまっている、こういうこともございます。それから、メーカーの製造設備もアル添の酒をつくる製造設備ができております。
学校給食に二十七万トンの小麦を使っておりますけれども、米不足時代に粉食を奨励して学童に食べさせた学校給食を、何もこういう現状において全量小麦にしなければならぬことはないのです。特に、米作地帯の学童には半数ぐらいは。ハンを米に切りかえても可能であります。