1951-11-01 第12回国会 衆議院 地方行政委員会 第4号
そこで集まつた約五六百名の者が数箇班にわかれまして、午後七時三、四十分ごろ、分村反対派であるところの元加治地区に住んでおる西久保宗重、諸井陸左右、中沢阿栗、西久保寅三郎、平岡勘五郎、平岡貞作、この人たちの家を大挙襲撃いたしまして、屋内へ乱入し、戸障子、窓ガラス、家財道具等を、手当り次第にめちやくちやに破壊しました。
そこで集まつた約五六百名の者が数箇班にわかれまして、午後七時三、四十分ごろ、分村反対派であるところの元加治地区に住んでおる西久保宗重、諸井陸左右、中沢阿栗、西久保寅三郎、平岡勘五郎、平岡貞作、この人たちの家を大挙襲撃いたしまして、屋内へ乱入し、戸障子、窓ガラス、家財道具等を、手当り次第にめちやくちやに破壊しました。
大連を二十八日に出発して、二十九日の晩に船の中で大騒動が起りまして、私が大衆の輿望をになうと言うのは、はなはだ言いずらいですが、輿望をになつて——十六箇班の中で十五箇班が選んで、私が梯団長になつて帰つて来たのです。それから、大衆が勤労者組合のやつていたことを納得していなかつた、信頼しておらなかつたということは、明らかな事実が一つある。
中に小さな殺人事件、比較的單純なものにつきましては、あるいは一箇班をもつてこれに当てるというような状況でございます。 それから次に搜査の端緒でございまするが、搜査の端緒は告訴、告発、投書、密告、聞込みというような種々なる方法でやつておりまするが、大体殺人等におきましては、被害者の家族であるとか、または近隣通行人等の発見者がもよりの交番に届け出るというのが従来の例でございます。